天才は、忘れた頃にやって来る

 

 

ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』シルヴィア・ナサー著 塩川優訳を読む。


本作は、ナッシュ均衡ノーベル経済学賞を受賞したジョン・フォーブ・ナッシュの波瀾万丈にあふれた半生記。

 

彼はハーバード大学よりも奨学金などの条件提示が良かったプリンストン大学へ進学する。そこでは、プロ野球と同じで全国からその道の天才、神童と呼ばれた人間が集まってくるのだが、その中で自ずと天才のヒエラルキーが生成されていく。

 

小天才は、いままであった理論をブラッシュアップしたり、ヴァージョンアップしたりする、いわば名アレンジャーである。ところが、彼のようにまったくのオリジナリティ、誰にも似ていない、見たこともない発想を思いつくのが、真の天才である。

 

天才というのは良い意味でも、悪しき意味でも、エゴイストだ。考えてごらん、気配り上手な天才なんているわけないよね。ご多分にもれず、彼は、マイペース。コンピュータの父、ゲーム理論創始者でもあるフォン・ノイマンをはじめ錚々たる教授たちとのやりとりにも、彼の傍若無人ぶりが伺える。そして、まだ知名度の低かったMITに請われて数学科の講師となる。

 

最初の恋人に子どもを産ませても認知はせず、養育費も支払おうとしなかった。後に妻となったアリシアは、彼の才能に惚れてしまい、最大のファンとなる。傍から見ればひどい仕打ちもなんとか耐える。やがて彼が精神に異常を来たした時、ついに入院させることを決意する。どんなに恨まれようとも。

 

それから40年余り、いわば第一線から身を退かざるを得なかったナッシュ。生きながら伝説の人と化そうとしていたのだが、回復し、復活する。確かに、それは奇跡といえよう。天才といわれる人種は大抵が早熟で二十歳過ぎればただの人という印象が強いのだが、ナッシュは違った。

 

本人は寛解は、自助努力と述べているが、それだけではないことを、作者は綿密な取材を重ねて、書いてある。

 

品行や素行はどうあれ、その天性の素質を柔軟に受け止め、伸ばしてあげるアメリカの教育環境と、ある意味致命的ともいえる病気に陥っても、手を差し伸べカムバックへの道筋を用意していたプリンストン大学の教授やスタッフ、何よりも妻に敬意を表したい。

 

彼が精神病院に入院していた頃は、ロボトミーや電気ショック療法などが実施されていた頃であり、ケン・キージーの『カッコウの巣の上で』が書かれたのと同時期で、彼の明晰な頭脳がボロボロにされなかったことは、ほんと、幸いなことだ。

 

本作はロン・ハワード監督により映画化され、こちらはアカデミー賞に輝いた。ラッセル・クロウが演じているのだが、本作に掲載されている写真を見る限りは、若い頃のナッシュに良く似ている。ナッシュも人並みはずれた頭脳とマッチョな体躯を兼ね備えていたようだ。

 

ビューティフル・マインド」とは、数学の新しい理論の解明に挑むナッシュのイノセントな心であり、夫を信じ続けた-途中、揺らぎかけたことはあったが-妻の心でもある。

 

kotobank.jp

人気blogランキング