相手のいない伝言ゲーム

 

 

ウィトゲンシュタインの愛人』デイヴィッド・マークソン著 木原善彦訳を読む。

この世で最後の人間となったケイト。
彼女はタイプライターに向かいながら自身の来し方をまとめる。
まとめたものを読む人間はいないのに。誰が読む?
シーシュポスの神話のような行為?

 

訪ねたことのある外国の著名な美術館、ギャラリー。
偉大な音楽家、作家、詩人、哲学者などについて思いつくままにタイピングする。

妄想、虚言、いえいえ、小説は虚構なんだから。

 

どこがウィトゲンシュタインなのか。
断片の集合体というスタイルが一応似ていることは似ている。
でも『論理哲学論考』あたりと比べると、はるかにわかりやすい。

 

小説というよりも長い散文詩と思って読んだ。
高尚な内容とどうでもいいような内容がミクスチャーされている。
その小さな話(断片)の飛び具合が読んでいて楽しい。

 

マシンガンのように話の内容が無節操に飛ぶおしゃべりな女の子(男の子)の話を
聴くように。

 

彼女が『ウィトゲンシュタインの愛人』かどうかは最後までわからない。
ただし彼についてはいろいろなことを散りばめて書いている。

彼女はこう書いている。

 

「たとえ、どのみちウィトゲンシュタインが難しすぎて読めないと常々聞かされたとしても、本当のことを言うと、彼が書いたセンテンスを読んだことはある。それはまったく難解だとは思わなかった。実際、そこに書かれていた内容はとても私の気に入った。素敵な贈り物をするのにたくさんのお金は要らないが、時間はたくさんかかる、というのがそのセンテンスだ」

 

ケイトと名乗ってはいるが、本当は男性かもしれない。
ウィトゲンシュタインは同性愛者だったらしいから(本作にもそう出ている)
「愛人」は女性ではなくて男性じゃないかな。
あえて女性言葉で表記する。懐かしい言葉でいうとネカマとか。
もういっちょう懐かしい言葉でいうとポップ文学とか。

 

ボリス・ヴィアンの小説に『北京の秋』がある。
これは北京も秋も出てこない。それよりはましかな。

彼女はこう書いている。

「心から離れた(アウト・オブ・マインド)時間とは“正気を失っていた時期”ということなのか、それとも単に“記憶から消えた時間”ということか」

「心から離れた(アウト・オブ・マインド)時間」を取り戻すために書いたのか。
時間が戻らないことは知っているけれども。

 

電気も水道もガスもガソリンもなく。食べるものも底を尽きそうだけど、空は青く澄み切って。タイプライターのキーボードを打つ音だけが聞こえる。

 

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