この短篇集はカレイド・スコープ。いろんな人生模様をのぞかせてくれる

 

 


『郊外のフェアリーテール キャサリンマンスフィールド短篇集』
キャサリンマンスフィールド著  西崎憲編訳を読む。

 

作者は自分が女性であることに対して優越感と劣等感を同時にかなり込み入って有している。ジェンダーギャップ、社会階層ギャップ、ミサンドリー(男性嫌悪または男性蔑視)などが根底にあるような。一時期流行った言葉で延べるなら、こじらせ女子系。元祖わきまえない女子系。

 

ヴァージニア・ウルフとは好敵手だったとか。当時の(いまでもか)作家=男性という強固な岩盤に、まずは先陣としてクサビを打ち込む。女性が奔放に生きるとなぜ非難されるのか。なぜ女性は家庭に入らなければならないのか。


フェミニズム文学と真面目に捉えるのもありだけど、ぼくは良い意味での繊細な少女漫画的世界や自在な創造力を愉しんだ。ある作品はチェーホフ的、ある作品はアリス・マンロー的、ある作品はマジックリアリズム的。ある作品はシャーリイ・ジャクスンのようなイヤミス的。あ、個人的感想。

 

何篇かのあらすじと感想を手短に。

 

『ガーデンパーティー
ローラの家では、ガーデンパーティーで盛り上がっていた。そこで出されたご馳走のおすそ分けを下の小さな家へ届けるよう命じられる。その家では主人が事故で亡くなり、葬儀の真っ最中。ローラは死者の元へ案内される。多感な少女のハートは、死への畏怖そして不幸と貧困と絶望に満ちた空気に過剰なまでに同調する。

 

『パール・ボタンはどんなふうにさらわれたか』
一人で遊んでいたパール・ボタンちゃんが二人の女性に誘拐される話。パール・ボタンに胴体と手足をつけたかわいらしい人形劇で見たい。


『見知らぬ人』
10カ月もの長い船旅を終えてようやく再会したハモンド夫婦。夫は、上等のホテルを予約した。当然、妻も喜ぶものと思っていたが、何やら心、ここにあらず。理由をたずねると妻は船上で病気の男性客を介抱していたが、彼女に見守られて息を引き取ったと。
夫にはなぜそこまで尽くしたのか。そしてなぜ悲しみを引きずっているのか。理解に苦しむ。10カ月会わなかったからなのか。それともそれまでの夫婦生活での蓄積されたものなのか。

 

『ミス・ブリル』
女優(?)であるミス・ブリルは、自慢の毛皮の襟巻を巻いて市民公園でバンド演奏を楽しむ。素敵な観客たち。彼女はボランティアで「病気の老紳士に新聞を読んでいた」。そこへ若いカップルがやって来て少年が少女に迫る。すると、少女は彼女がいるからダメだと。二人は自慢の襟巻を見て冷笑する。気落ちするミス・ブリル。そして襟巻は…。最後の一行が利いている。


『一杯のお茶』
ローズマリー・フェルはとりわけ美人ではない。しかし、富裕層のマイケルと結婚し、男児を産んだ。いわゆる有閑マダムでアンティークの蒐集に惜しみもなく金をつぎ込んでいた。雨の降る夕方、見知らぬ若い女性から声をかけられる。濡れネズミのような彼女はお茶をおごってくれと。ローズマリーは、捨て犬を拾うかの如く自宅に招く。スミスという若い女性の美しさに気づいたのは帰宅した夫だった。接待は打ち切り。3ポンドを渡して追い払う。同情から嫉妬へのすばやい転換。またまた最後の一行が利いている。

 

『人形の家』
大きくて精巧な人形の家を送られてきてバーネル家の子どもたちは大喜び。学校の友だちを招いて披露する。そこに招かれざる客が。洗濯女の娘、父親は刑務所暮しと噂のケルヴィー姉妹。姉妹はいつも貰い物の布などで母親が手縫いのド派手で珍妙ないでたち。姉妹を招き入れたら案の定、追い返された。こんなことは慣れっこの姉妹。叱責よりも人形の家の出来栄えの方に心を奪われる。これはドール・ハウスと原題のままでいいだろう。

 

『入江にて』
美しいクレッセント湾を持つ町の一日を描いた作品。そこに登場する人々の情景を描いている。ミセス・フェアフィールドは、二人の息子、三人の孫娘といつものようにあわただしい朝を迎える。磯遊びに興じるサミュエル家とトラウト家の子どもたち。海水浴を楽しむトラウト家の娘たち。リンダ・バーネルのそばで朝、眠っている坊や。リンダの赤ん坊が突然、「マム、あたちのこと、好きじゃないでちゅね」と話す。あっさりと肯定する彼女。スタンリーのために結婚したのであって子どもをつくるためではない。孫娘キザイアに「死なないで」と懇願されるミセス・フェアフィールド。自然の描写が素晴らしい。ウルフも素晴らしいのだが。入江の一日が人の一生にも思えてくる。


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