時の過ぎ行くままに



 

 

 

『妻の部屋 遺作十二篇』古山高麗雄著を読む


四十歳を過ぎたあたりからだろうか。結婚式よりも、葬式に出る方が多くなったのは。今は年賀状だけのやり取りだけになってしまった学生時代の友人や昔の会社の上司や同僚から喪中欠礼が届くなんて、つい先だってまで考えたこともなかった。

 

大学生の時分、心理学の教授から戦前の青春を聞かされてなんだか羨ましいと思ったことがある。カフェの可愛い女給に入りびたったり、クラシック音楽アメリカ映画にうつつを抜かしたり、玉の井の女性とねんごろになったり。大学も駅弁大学(by大宅壮一)と呼ばれる今より、数はずっと少なくて、当然、大学出の学士様は多少なりとも幅を利かせていた。

 

本作には、若かりし戦前の青春時代のこと、友人のこと、戦争のこと、妻の病気のこと、夫婦の歴史、そして妻に先立たれた自分のことなどが、クールな筆致で書かれている。ウエットでもないし、枯れてもいない、現役の作家の良い文体である。どことなくモダンボーイの影が感じられる。

 

作者の予備校時代からの旧友である安岡章太郎は、作者とその友人たちを「悪い仲間」と称して小説の題材にした。作者は外地である北朝鮮の開業医の子として生まれ、いわゆるボンボン育ちだった。やがて徴兵され、戦場で生死の境をさ迷い、捕虜になり、戦後帰って来るが、家は没落。知り合いの紹介で未亡人だった女性とお互い好きでもないのに結婚する。

 

それから駒込の「ウサギ小屋」で糊口をしのぐ暮しが続く。お嬢様育ちの「妻」にとってそれは辛いものだったものに違いなかったと述懐している。作者が第一作目の小説を発表したのが49歳。第二作目で芥川賞を受賞する。ようやく筆一本で食えるようになったのは、それ以降だという。それから中央林間に新居を建て、「ブタ小屋」と呼び、作者は青山のマンションを仕事場にして、週末に帰るという別居婚スタイルを妻が死去するまで続けていた。

 

作者は妻の死後、持ち物を整理していると、日記を発見する。そこには作者に対するそれこそ積年の恨みつらみ、不平不満が書き綴られていた。妻は面と向かって文句は言わなかったとか。しかし、妻が生前、書き認めておいた遺書には、夫への感謝の気持ちが記されていた。知己だった江藤淳のように臆面もなく妻のことは書けないと、そんなニュアンスで述べているが、言葉にしなくても、十分に伝わってくる。

 

癌の術後ある程度予測していたとはいえ突然、電話をかけて不調を訴え、それが最後の声となってしまった妻。作者が駆けつけた時は、まだ温かかったが。相性も良くなく、趣味も違うが、一つ屋根の下で暮らした50年。

 

戦後、生きることは、作者にとって余生だったようだ。しかし、余生とはいっても、戦争に対する理不尽さや大きな歴史のうねりの中に翻弄されるしかない人間の弱さ、脆さを終生のテーマに、戦争への記憶や傷みが薄れる時代に逆らうように、文字で訴え続けてきた。

 

同じ捕虜体験が書くという行為の大きな動機となった大岡昇平なら、会社勤めをしても、万事率なくこなし、定年までには重役になるかもしれないと思うのに対して、作者は、世渡り下手という印象を勝手に抱いてしまうのは、私小説風スタイルの作品のせいなのだろうか。どちらがどうこうというわけではないのだが。

 

本作最後のエッセイ「孤独死」には作者自身の死への思いが、実にさっぱりと語られている。達観してるともいえるだろう。はからずも作者の末期は、そうなってしまったが。

 

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