ひりつく、辛口な短篇揃い

 

『三十歳』インゲボルク・バッハマン著 松永美穂訳を読む。

彼女の詩を読む前に、短篇集を読んだ。小説というよりも長めの散文詩
そう思って読んだ。途中、ページを行きつ戻りつ。
ヴァージニア・ウルフアリス・マンローあたりの作品を読むように。
作者は1926年生まれ。1945年第二次世界大戦終戦時、19歳。
アプレゲールならぬアプレガール。ひりつく、辛口な短篇揃い。

 

オーストリアの町での子ども時代』
バッハマン版『恐るべき子どもたち』。ウィーンっ子である作者自身の子どもの頃の思い出が、鮮明に描かれている。戦争は悲惨だが、それでもわずかだけど楽しみはあった。


『三十歳』
二十歳の頃は、根拠のない自信と根拠のある不安のせめぎ合いだったが、おぼろげながらも未来に期待もした。三十歳になると、ある程度、将来が見えてくる。三十歳になる前に彼は、ローマで友人のモルや元カノ、エレンと再会した。
彼は自分自身に語り続ける。恋人だったレニを旅先で捨てたことを思い出す。ジェノヴァで思いつきでヒッチハイクをする。猛スピードで走る車。車はトラックと激しく衝突する。運転手は「即死」。幸い一命は取りとめた。怪我をした彼。鏡を見ると白髪を1本見つける。「老い」を感じた瞬間。

 

『すべて』
ハンナとできちゃった婚をした「ぼく」。そしてフィップスが生まれる。だが、わが子として愛情が持てない。そもそもハンナに対しても愛情があるのか。成長した「フィップスと日曜日にはウィーンの森を散歩した」。小さな男の子は小さな野獣でもあり、「ぼく」は愛するどころか憎しみさえ抱くようになった。彼は学校の行事で訪ねた渓谷で勝手に岩場へ行き、足を滑らせて亡くなる。冷えた夫婦仲も修復不能となる。


『人殺しと狂人たちのなかで』
第二次世界大戦が終わってから10年以上たったウィーンが舞台。「人殺し」とは、戦争体験者の旧世代。「狂人たち」は、作者と同世代の若い世代。男どもはバーに避難して天下国家など酒場談義に花を咲かす。そんな空間を作者は侮蔑的というのか冷ややかにとらえる。

 

ゴモラへの一歩』
シャルロッテは少女マーラが気になっていた。小鹿のように可愛いマーラ。シャルロッテにはフランツという夫がいたが、フランツよりマーラの方が存在が大きくなっていた。ある夜、二人はバーに行く。突如、泣きじゃくるマーラ。シャルロッテはめろめろ。インモラルな世界へ堕ちていく二人。てな意味合いで「ゴモラ」なのだろうか。百合小説じゃん。


『一人のヴィルダームート』
担当判事と父親殺しの犯人が偶然、同じ姓、ヴィルダームートだった。新聞などでも取り上げられる。父親殺しの犯人と思われる男は裁判が始まると供述を覆す。安易な案件と判事は踏んでいたが、意に反してひょっとすると犯人はシロになるかもしれない。判事は自分の人生を振り返る。「真実とは何だ」このために判事になったのだが。妻ゲルダとの結婚生活には問題はないが、かつて魅了されたヴァンダのこともふと、胸をよぎる。

 

ウンディーネが行く』    
水の精霊オンディーヌが、ドイツ語だとウンディーネなのか。ウンディーネが「ハンス」という男性を罵倒する。延々と続く独白。ぼくには耳が痛いが、女性たちは大いに共感するだろう。水の中でないと生きられないウンディーネ。地上でないと生きられない男性。いっそのことサンショウウオにでも改造しようか。フェミニズム小説のさきがけ?


これも30歳になることを歌ったぼく的ベストソング。
鈴木博文の作詞・作曲が大変よろしい。つーか、世界がほぼ一緒なのだ。


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