神は都市に宿る

 

 

 

『都市と日本人―「カミサマ」を旅する―』上田篤著を読む。

 

「都市とは神様のいる場所」だと梅棹忠夫の説を引いて、作者は、皇居もそうだし、京都の東寺もそうだし、各地で復元された城の天守閣もそうだし、またタイガースファンのメッカ甲子園球場も神様のいる場所であると。私鉄、中でも関西圏の私鉄が、発端が寺社詣でだったことなどなどを知らされたりして、その土地を訪ねながら、持論を証明する。作者とともに、紙上でカミサマの旅をするうちに、じょじょにはまりこんでいく。

 

面白かったものをニ、三、紹介すると。

 

鎌倉の切り通しに対する考察も得るものがある。天然の要害である鎌倉に幕府を建立した頼朝。「鎌倉を囲う山」は「城壁」の役割を果たし、それは「日本の城の原点」である。

 

作者は、現在ブームとなっている京都の町家の研究の草分けのようだ。雑誌やTV番組などで画像や映像で見たことはあるが、そのコンセプトを紐解いてもらうと、驚きも新た。要するにミクロコスモスなのに、マクロコスモスがある。日本人特有の『ちぢみの思想』の具現化といってもいいだろう。「町家内部の荘厳さ」は、祀られているさまざまな神様の御業なのである。何せ八百万(やおよろず)の神々がいる国なのだから。おっと『千と千尋の神隠し』に話が似てきた。

 

確かに、ちょっと前まで、仏様にご飯をあげたり、朔(ついたち)には神棚に柏手を打ってたりしていた。

 

「都心には高層の建築があり、周辺にいくにしたがって低層になっていって、郊外には一戸建て住宅が立ち並ぶ」と作者だけじゃなく、大抵の人が考えるステロタイプな「都市のイメージ」は、「欧米の都市のイメージ」であって、京都の町家の懐の深さを知って、ものの見事にくつがえされたとも。

 

町家だけでなく日本家屋全般は、室内空間と庭が一体化していた。いわば室内の延長が庭なのである。あ、逆か。ぼくは以前マンションに住んでいて、いまは路地奥の町家のような中古戸建に住んでいるのだが、集合住宅が閉じられた快適性であるの対して、古い戸建の外に開かれた空間性、その違いを体感している。確かに夏は涼しいが、冬は、京都の町家並に凍える。

 

先だって仕事で、渋谷からノンストップ六本木ヒルズ行きのバスに乗った。あのへんはそこそこ思い出がある。カーディーラーの本社ビルへラジオCMの打ち合わせに行ったり、青山ブックセンターで油売ったり、毛利庭園のニッカ池やツタの繁る洋館で、知り合いがインスタレーションをしたり。六本木ヒルズにも神様はいるのだろうか。いるいる、ムラカミタカシのキャラ、ロクロク星人が。


でも、よーく考えてみると、神様ではなく宇宙人か(笑)


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