短距離走者の孤独

 

 

『彼女の思い出/逆さまの森』J.D.サリンジャー著 金原瑞人訳を読む。きっかけは、『謎ときサリンジャー-「自殺」したのは誰なのか-』竹内康浩著 朴舜起著を読んだから。

アメリカ本国では出版されていない「ライ麦」以前の初期短編全9編を収録」


サリンジャーが出版を許諾しないのか。でも、外国ならよいのか。ともかく読めるのはうれしい。しかも訳者は、YA文学翻訳に定評のある金原ひとみパパだもの。

 

改めて思ったのは、その洒脱で達者なストーリー。本人が述べているようにきわめて優れた短篇小説の書き手。

 

「I am a dash man and not a miler, and it is probable that I will never write a novel.
(ぼくは短距離走者で、長距離は得意じゃない。おそらく長編小説は一冊も書かないと思う。)」

 

なんだけど、登場人物にどこか病的なものを感じてしまうのは、ぼくだけだろうか。
病的という言い回しには語弊があるか。軽い狂気、秘めた暴力性、屈折したユーモアなどなど。現代人の特性とも言うべきもの。戦争をテーマにした作品が多いのは従軍体験

によるもの。

 

何篇かを短く紹介。


『彼女の思い出』
大学1年の期末のテストで落第が決まった「おれ」。父親から家業を継ぐ前にウィーンとパリへ語学留学を命じられる。ウィーンの下宿先でリーアという16歳のユダヤ人の美少女と出会う。意気投合したように思えたが、彼女には婚約者がいた。期間限定の片思い。次の留学先パリへ。アメリカの大学で学び直すが、第二次世界大戦が勃発、欧州は戦場となる。戦後、軍の仕事でウィーンを訪れる。懐かしい風景。かつての下宿は将校の宿舎になっていた。リーアの消息は。


『ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない』
「ボーイ・ミーツ・ガールの短篇」を書こうと書き出しで悪戦苦闘している作家のさまを半ば自虐的ユーモアで書いている。傑作を書こうとして苦闘する、産みの苦しみ。Aパターン、Bパターン、いろいろ書き出してみるが、しっくり来ない。どころか、ややもするとあらぬ方向へ暴走し出す。楽しい楽屋オチ的味わい。

 

『おれの軍曹』
16歳で入隊した「おれ」。ホームシックになって泣いていると、そばに来たのが「二等軍曹の醜男のバーク」。一緒にチャップリンの映画を見たり、なぜかバークが勲章を貸してくれたり。バークは真珠湾で戦死する。その顛末がドラマティックでじんとくる。


『すぐに覚えます』
ペティットは為すことすべてがどんくさくて、上官グローガン軍曹からすさまじい可愛がり、パワハラを受ける。キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』のように。しかし、ペティットは「すぐに覚えます」と。後年、息子のハリーが入隊。どんくさくて同様に鍛えられている。ペティットは、ほんとうにすぐに覚えられたのだろうか。オチの一言が効いている。

 

『逆さまの森』
ドイツ系移民のコリーンはお金持ちの長身のきれいなお嬢さん。幼なじみのフォードは没落した貧しい家の子だった。やがてコリーンは有能な雑誌編集者となる。新進気鋭の詩人の詩集を誕生日プレゼントにもらう。詩人の名前に見覚えがある。あのフォードだった。二人は再会する。饒舌な彼女と寡黙な彼。二人はめでたく結婚するが、日に日に心の隔たりが大きくなる。夫は人妻バニー・クロフトと出奔する。夫のアパートを突き止めるが。ほろ苦い結末。


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