追憶と記憶と眠りと

 

 



『眠りの航路』呉明益著 倉本知明訳を読む。

本作がデビュー作なんだ。

 

主人公の「ぼく」は、記者を辞め、台北フリーライターをしている。
村上春樹言うところの「文化的雪かき」。このところ、睡眠障害に悩まされている。
病院で診てもらっても快方には向かわない。「ぼく」の話と父親がかつて創氏改名により三郎となって、少年工として高座海軍工廠で働いていた話が入れ子になって展開する。

 

父親は長年住んでいた中華商場が取り壊された日に行方不明となる。「ぼく」は、紹介された睡眠障害の日本人の専門医・白鳥を受診して、ついでに父親が話さなかった時代を追体験しようと恋人アリスを残して単身来日する。

 

高座の海軍工廠。そこには徴兵検査を不合格になった平岡くん(三島由紀夫)がいた。彼から知的刺激を受けながらも、戦場で死にたかったという忸怩たる思いも知る。やがてB29の空襲を受ける。三郎も危険な目に遭う。

 

台湾、日本、アメリカ。それぞれの状況を資料に基づき、ニュートラルに書かれてある。

 

それと純粋にメカ好きのようでゼロ戦など日本の戦闘機への造詣もかなり深い。
ゼロ戦の試作機を牛で運んだエピソードが紹介されている。これは宮崎駿監督の『風立ちぬ』にも出て来た。

 

「ぼく」は、大和市から江の島、遠出して名古屋まで父親の軌跡を追う。彼が見たもの、感じたことは一種のルポルタージュとしても楽しめる。大和市では野鳥の森の近くにある「切妻造り」の純和式の民宿、名古屋ではカプセルホテルに泊まる。


主人公が育った中華商場の思い出が後の『歩道橋の魔術師』になるし、父親が良く手入れをしていて現役で走ることができた年代物の日本製フジの自転車は後の『自転車泥棒』につながる。

 

三郎にとって戦後は長い余生みたいなものだったろうか。

 

睡眠障害は快方に向かい、思春期以降ろくに話もしなかった父親との距離も縮まったようだ。仮に三郎が空襲で亡くなっていたら「ぼく」は存在しないのだから。

 

個人的な話になるが、僕の母も女学校時代、学徒動員で工場で空襲に遭った。
防空壕に逃げ遅れた。ところが、防空壕に爆弾が直撃したそうだ。
逃げ遅れたことで助かった。で、僕もいると。

 

第二次世界大戦は遥か昔のことのように思えるが、その影はいまだに思いがけないところにあらわす。

 

過去と現在、現実と夢、リアルと非リアルが、巧みに撹拌されている。
文学の良い香りがする。

 

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