食品のリスクに対処する消費者の自覚の欠如が、BSEパニックの一因となった

 

 

引越しに備えて断捨離中。
本もさることながら、コピーを書いた印刷物や企画書も山のようにある。
粗大ごみも。

昔書いたレビューが出て来たので再掲。
BSEを新型コロナウィルスに置き換えれば、まんまいまでも通じる。

 

『食のリスクを問い直す-BSEパニックの真実』池田正行著を読む。

 

9.11は「アメリ同時多発テロ」の日だが、さて、その前日である9.10は何の日でしょう。本書によれば日本で初めてBSE(狂牛病)の牛が認知された日。そこからの一連の騒動は記憶に新しいはず。

 

BSEの牛が出た。国産牛肉はあぶないぞ。だから買うのは、食べるのは、控えよう。結果、「牛肉消費が激減した」。その原因を医師である作者はこう考えている。

「BSEの場合、行政が一般市民に悪い知らせを伝えること(リスク伝達、リスクコミュニケーション)に失敗したために、ゼロリスク探求症候群の嵐が巻き起こり、パニックの被害が拡大した」。

 

「BSEの人間への感染の可能性」に関して作者は、「BSE牛を食べた人すべてがvCJD(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)になるのではなく、大量のプリオンが体に入るとか、ある特殊な体質の人がなるとか、ごくまれな条件が揃って初めて発症するのであろう」と述べている。

 

「1996年WHOは肉骨粉禁止を勧告したが」、日本は「汚染肉骨粉の輸入と国内流通を阻止できなかった」。乳牛用の餌として肉骨粉は安価で「タンパク源、カルシウム源」ともに申し分なかったからだ。主婦なら周知のことだが、牛乳の価格がミネラルウォーターより安い価格で店頭に出回っている以上、生産コストを切りつめるしか途はなかったのだ。これもグローバリズムの弊害の一つと言えるだろう。

 

この一種のパニックを起こさない、拡散させないためには、政府や場合によってはマスコミも過剰なまでに不信感を抱く消費者に対しての知識を啓蒙する受け皿、すなわち第三者機関の存在が必要である。

 

かつて作者がイギリス・スコットランド留学時代に起こったBSEパニックの中、不安におののく在英邦人に対して日本語新聞に寄稿したり、日本人学校にBSE情報のコピーを郵送したり、ホームページで正確な情報をインフォメーションしたように。

 

ただし、作者曰く「リスクコミュニケーションは難しい」と。テレビでいかに数値をあげて安全性を説明しても、視聴者の代表ともいうべき番組の司会者には真意は伝わらなかったという。

 

そのためには、リスクコミュニケーション技術と教育が必要であると述べている。リスクコミュニケーションのポイントは「ゼロリスクはないと理解すること」「リスクとベネフィットの両方を考えることが必要であることを知ること」「リスクについて確実なことはなく、不確実性は避けられないと知ること」の3点である。

 

そして「パターナリズム(お任せ主義)に陥らないこと」を挙げている。「何でもかんでもお上任せで、問題が起こればお上を非難する」だけで、自分の考えも持たず、当然行動もできないことを意味している。

 

牛肉偽装事件を起こした雪印食品を潰してしまったのは、「人民裁判」いわば私刑(リンチ)のようなものだと。つまり被害者の立場が、いつの間にか加害者になっているということ。不正は断じて良くないが、店頭から商品を回収してしまったり、また購入を敬遠する行為は非国民とみなされないがための行動だと述べている。ぼくも何か集団ヒステリーのような薄気味悪さを感じてならない。

 

「食品のリスクに対処する消費者の自覚はまだまだ足りない」と手厳しいが、そう思う。無添加のパンを買って、二三日後にうっすらと青カビが生えたら「あのー、カビが生えたんですけど」と消費者窓口に電話したりする人がいるらしい…。笑いごとじゃない。


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