会話をスケルトン化してみると

 

 

『会話を哲学する-コミュニケーションとマニピュレーション-』三木那由他著を読む。

 

企業が新卒社員を採用する基準で最も高いのがコミュニケーション能力だそうだ。
って、遥か昔、ぼくが就活生だった頃も、そんなこと、いわれていた気がする。

 

コミュニケーション=言葉による会話(バーバル・コミュニケーション)をイメージするが、もう一つマニピュレーションがあると作者は述べている。

「「マニュピレーション」というのは―略―「何かを操作すること」といった意味合いを持っています。会話を通じてひとは誰かの心理や行動を操作しようとすることがしばしばありますが、それを「マニュピレーション」と称しているわけです」


んでもって会話における「コミュニケーションとマニピュレーション」の具体的な事例を実際の小説や漫画から当該箇所を取り上げ解説している。ここがこの本のキモ。

 

特に漫画。漫画は絵とふきだしとキャプション(ナレーション)から成立している。テキストのみの小説と比較すると絵で人物の気持ちを知ることができる(ノン・バーバル・コミュニケーション)。だから、ふきだしはすべて発言しなくてもよい。むしろ、少ない方がよいだろう。このあたり、映画と似ている。すると、そこからコミュニケーションとマニピュレーションがどういうものか及びその関連性がスケルトン化されてくる。

 

長めの引用。

 

「話し手が発言をおこない、それのよって聞き手とのあいだで共有の約束事が形成されるとき、そのは発言はコミュニケーションをおこなっているものとなります。コミュニケーションは、話し手と聞き手のあいだでの約束事に関わる。これはこれまでの章でもさんざん述べてきたことです。ですが話し手は必ずしもその発言でコミュニケーションだけをおこなっているわけではありません。あえて白々しい何らかのコミュニケーションをおこなうことによって、聞き手を怒らせようとしてみたり、何かをコミュニケーションのレベルに持ち込まないように巧みに計算した発言をしつつ、その何かを聞き手に情報として伝えたりと、さまざまな仕方で聞き手に与えようともします。発言によって聞き手に影響を及ぼそうとしているとき、話し手はマニュピレーションを試みているといえます」

「コミュニケーションとマニュピレーションの区別はわかりにくいかもしれませんが、音声の多重放送における主音声と副音声みたいな関係にあると思ってもらったらいいかもしれません」

 

ぼくが頭に浮かんだのは永井豪の『マジンガーZ』に出て来るあしゅら男爵

「話し手はひとつの発言でその両方をおこなっています」

 

無意識というか意図せずにおこなっているとか。

かつて行動経済学の本を読んで人間の行動は決して合理的ではない、いい加減ってことを知って目からウロコがぽろぽろ落ちたが、
この本もそうだった。読み終えてからハンディクリーナーで落ちたウロコを掃除した。

あしゅら男爵 半分がコミュニケーション もう半分がマニュピレーション

 

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