亡命文学から難民文学へ―新ロストジェネレーション

 

 

『行く、行った、行ってしまった』ジェニー・エルペンベック著 浅井晶子訳を読む。


リヒャルトは大学教授を退官して、今は名誉教授の肩書。妻には先立たれ、お一人様の老後を淡々と過ごしている。聖人君子のようなタイプではなかったようで過去には若い愛人がいたことを短くふれている。妻がいなくなっても律義にいままでの生活習慣を守っている。

 

「アレクサンダー広場」でハンストをしているアフリカ難民がいることをニュースで知る。そういえば「オラニエン広場」ではテント暮しをしている人もいる。「ベルリン州政府」は彼らに広場からの撤去を申し入れ、代わりに元老人施設を新しい仮の住まいとして提供する。そこはリヒャルトの自宅のそばにあった。

 

することもないのでその施設に足を踏み入れると、ボランティアでドイツ語を教えている女性と知り合いになる。恋というわけではないが、彼女を魅力的だと密かに思うようになる。

 

アフリカからの難民たちはでイタリア経由、つーかイタリアから追い払われ、ドイツに流れて来たらしい。なんとはなしに彼らたちが気になって足繁く通うようになる。はじめは警戒していた彼らもぽつりぽつりと生い立や故国の状況などを話すようになる。たどたどしいドイツ語であっても、気持ちは伝わる。

 

成り行きでリヒャルトは、中級ドイツ語クラスで教えるようになる。

 

リヒャルト自身も東ドイツに生まれ、故国が無くなる体験をしている。故国と妻を失った自身の境遇と故国を離れた彼らに、シンパシーを覚えたのだろう。同情というと何か上から目線っぽいが、同情ではないだろう。一方的に連帯感みたいなものを感じていると思うんだけど。

 

試しに彼は難民の一人に「ベルリンの壁」や「第二次世界大戦」「ヒトラー」のことを訊ねる。知らなかった。リヒャルトがアフリカで何が起きているか、起きていたかを知らないように。

 

彼はガーナからの難民の一人に故国での土地の購入代金3000ユーロを頼まれもしないのに融通する。

 

やがてアフリカ難民のうち、ほとんどの者が退去を命じられる。イタリアを追われ、またドイツでも難民たちの満足いく結果には到底結びつかない。なぜ犯罪者のような扱いをするのか。心を痛めながらもできるだけの支援をしようとするリヒャルト。友人たちのインテリ層は、彼の行為を酔狂のように見ている。

 

止むに止まれず母国を脱出したが、安住の地は見つからない。彼らのカナンの地は、どこにあるのだろう。


『行く、行った、行ってしまった』というタイトルは、リヒャルトにとって、東ドイツ、妻、そしてアフリカからの難民たちのこと、過去の楽しい思い出などが去ってしまったということなのだろう。

 

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