ヒトは、白紙じゃ生まれてこない-3

 

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

 

 

 
ひきこもって、仕事。合間に、『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か(下) 』スティーブン・ピンカー著 山下 篤子訳を、やっと読了。
 

「1910年12月かそのあたりに、人間の本性は変化した」

 というヴァージニア・ウルフの言葉を引用して、

しかしウルフがいいたかった変化の表象である「モダニズムという新しい哲学は」「ポストモダニズム」まで先送りされ、結局「人間の本性」なんてちぃとも変わってないと、ピンカーは勇ましく述べている。
 
モダニズムの一例として

「建築は工業原料を使って箱型につくられる『住むための機械』になった」

 と。


モダニズムを総称して「マゾヒズム」を享受する的記述は、首肯できる。
プレモダニズムが奔放なヴィクトリア時代で、その反動がにより、
ある種、ストイックなモダニズムが流布する要因となった。
 
ただいくら設計者が自分のコンセプトを押しつけようが、
居住者は、やっぱり、ダサいマイ・ライフスタイルを実践する。
なんだっけ、「住めば都」。
インテリア雑誌に出てくるような住まいって、ウソくさいというよりも、マゾっぽさを感じる。
ガマンしてるんだろうな。美意識に緊縛されて。
クサヤの干物なんて絶対、キッチンじゃ焼かないんだろうな。
散在してつまらないものを買った後は、
罪の意識からか財布のヒモをギュッと締める婦女子のようなものか。
 
ネクタイの幅が広くなった後は、狭くなる。
スカートの丈が短くなった後は、長くなる。
しつこい?もうやめます。
 
モダン、ポストモダンを問わず、アートは表現よりもコンセプトが重んじられるようになり、一般ピープルは、美術評論家のセンセイ方などの解説にひれ伏して、
言葉で理論武装されたアートをありがたがるようになった。

わかる、わからないは別にして。てゆーか、大概はわからないんだけど。
でも、何かしら気にいれば、それはよし。として。
理解できるけど、つまんない具象と、わかんないけど、なんか感じる抽象。だったら、
やっぱ後者だと思うし。あんまり的確じゃないかも。
 
ジェンダー なぜ男はレイプするのか」って期待できるチャプターだったが、
斜め読みじゃ、何がいいたいのか、はっきりいってよくわからなかった。
わからなかったし、そ、そおかなという違和感も。
 
ここらへんは、きわめてナイーブ、ぼく自身も覚悟していわないといけないので、
熟考していかないと。ヘヘッ、腰砕け野郎め。