- 作者: 郡司ペギオ幸夫
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本
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『いきものとなまものの哲学』郡司ペギオ幸生著を読む。
いままでの著作の中で最もとっつきやすいかも。
冒頭のボンカレーのエッセーで心をつかまれた。
いつもながら引用して感想をば。
引用個所、これは入力してるからコピペじゃないよ~。
「他者とわたしの関係は、生と死の関係と重なり、我々はそのような
断絶の中を生きながら、断絶の外部と接続していることを感じる」
わかったような、わからないような。でも、確かにそうだ。
死は生きている限り、直接体験できないが、
他者の死を通じてなんとなく死を知り、死から生を知る。
「同時に死んでいくことは、何かのたべものとなって
しまうことでもある。いきることが失われ、なまものとなって、
たべものになることは、断絶の間に流動があることを意味する
―略―ここに見出されるのは、食う・食われる関係を無際限に
展開したフラットなネットワークだけだ。」
つまり「いきもの」は、やがて「なまもの」となって食べられる。
食物連鎖とか。
肉体は生きているが、肉はどうだ。物質つーか素材になった。
「おいしそうな肉体」という比喩は用いるが。
「いただきます」の語源を思い出した。
「食事の際の「いただきます」には「尊いあなたの生命をいただいて、
その生命の分、精いっぱい活かせていただきます」の、
痛みを感じ生命を無駄にしない心があるのです」
天台宗 > 仏教・仏事 > 法話集 > いただきますの心より
「知覚とは、外部刺激に対する直接的な応答であり、
感覚とは外部刺激に対する脳内表象に対する応答・解釈である。
例えば見えないと言いながら障害物を避けてこちらに来ることのできる
盲視の人間は、見えるという感覚を伴わないが、知覚はある。
対して半側無視の患者のようにすべて見えると言いながら、
顔の半分のみに化粧をする人間は、見えるという感覚のみで知覚がない」
感覚と知覚の違い。
随分前にカー用ボディソニックのコピー書きの仕事をした。
人の聴覚の仕組みは、耳からの音声(音波)と
骨からのボーン・コンダクション(骨伝導)から成り立っているそうだ。
耳だけでなく身体(骨)を通して感じる音が、感動などを与える。
体感ならぬ骨感か。
実際に試乗してみた。
カーシートに組み込まれたボディソニックは、腰あたりから
重低音がズンズン腹に響いた。