魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)
- 作者: 西川アサキ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/12/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「偽日記@はてな」で知った『魂と体、脳』西川アサキ著を読んだ。
ライプニッツ、ドゥルーズ、コンピュータで、
デカルトの「心身二元論」以降、ケリがつかない、つけようもない?
「心身問題」を解き明かそうとする無謀な本。ほめ言葉。
「本書では、次々に現れる出来事=クオリアの連なり、
映画のようなものをモナドとして想定する。-略-だからたとえば、
「あなたの人生」という体験全体を、一つの「モナド」だと
考えるほうがいい」
モナドとは「単一で分割できない」もの。
映画は、ドゥルーズの『シネマ1*運動イメージ』、『シネマ2*時間イメージ』から。
ドゥルーズの言う
「「イマージュ」とは、ほぼ「クオリア」の同義語だと考えていい」
「「二人称」の心身問題の問いはどのようなものになるだろうか?
二人称の世界には「私」と「あなた」が存在する。だから問いも
二つの方向性を持つ。つまり、(私からあなたへ)「あなたに心はあるのか?」
という方向、そして(私からあなたへ)「私の体験が分かるか?」の二とおりだ」
ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚とか。
「ライプニッツの「モナド」をシミュレーションするにはいくつかの条件を
満たす必要がある
1モナドは「宇宙全体」を表現している
2「時間が進む前に」出来事の配置は決まっている
3モナドは「閉鎖」している」
内部観測、オートポイエーシスと似ていると思ってもいいんだろう。
「精神と物質の関係は、ある固定されたパースペクティブがある限り=
「中枢が安定し、その中に萌芽的中枢=出来事が生成消滅する間」、問題になる。
それは普通の意味での、「心身問題」であったり、あるいは、外部から見た自分と
内部から見た自分のずれであったり、あるいは、現実と幻想の区別の徹底の不可能性
だったりする」
「本書で採った方法は、着実に理解範囲を拡げていく「科学」」
とは明らかに異なり、間違っている世界観を性急に妄想する「形而上学」だ」
だから魅力的なのか。
「一種の信仰」であり、「宗教」の領域かもと述べている。
あえてそこに侵犯しないと、ブレイクスルーすることはできないのだろう。
底本とも言うべきドゥルーズの『ライプニッツとバロック 襞』も
読まないといけないようだ。
関連本のオレのレビュー
『シネマ1*運動イメージ』ジル・ドゥルーズ著
http://d.hatena.ne.jp/soneakira/20081127
『シネマ2*時間イメージ』ジル・ドゥルーズ著
http://d.hatena.ne.jp/soneakira/20070206
http://d.hatena.ne.jp/soneakira/20070212