「むずかしいけど、魅力的」

 

 

誕生日祝いにもらったアイリッシュウイスキー「ジェムソン」をソーダ割りで。
まさかのヤクルト優勝で、ちと飲み過ぎ。

 

『生きていることの科学』郡司ペギオ―幸夫、なんとなく読了。


帯に養老孟司が書いてあるように「むずかしいけど、魅力的」。
むずかしいけど、魅力的でなかったら、とてもとても最後までは読めやしない。

対話形式で「メタファー」を沢山あげながら作者から見れば平易に噛み砕いている、おそらく。ところが、読む方は…。以下適宜引用。

 

「豚のレバーを庖丁で切る違和感わかる?あれって表面は艶やかで、滑らかに見えるけど、内部は強靭に密に結びついていて、切るのにすごい抵抗感がある。切断されがたい、重い肉の塊。その質感、触感が、私の意識そのものって感じられるんだよ。触感それ自体が、わたしの意識、その認識であると感じられるほど、感覚が混乱する。日常と非日常の感覚は、ぜんぜん違うんだけど、断絶があるわけでない」

レバーを切ったことがある人ならわかると思うが、確かに表面はぬるぬる、ぷるぷるしている。庖丁を入れると予想とは違ってなかなか切りにくい。
フランシス・ベイコンの絵をイメージしてしまったが、茂木健一郎クオリアあたりにもつながるのかなあ。

 

「歴史を物語る説明ってのは、そういった傍観的者的な態度に過ぎないと思うんだ。二つのレベルの調停過程、それ自体については、うまくいった場合だけを想定しているんだから、個人レベルとクラスレベルが媒介されるための、具体的処方箋を示さない限り、つまり道具として質料を示さない限り、進化の現場ではまったく役に立たない」

ううむ。アリストテレス曰く

「「質料」はものを作っている素材、「形相」はそのものをそのものにしている固有の性質のこと」。

 

「「わたし」という装置が質料性を持つことで、事前と事後が必然的に結びつく。線の質料が、太さのない事前と太さのある事後とを結びつけたように、ボールペンの質料が、インクで描く事前と硬さで描く事後とを結びつけたように「わたし」の質料が、多様な事前と一個の事後とを結びつけ、時間を創り出す。こうやって僕らは、自らの質料において絶えず時間を創っている」

タテ軸とヨコ軸が交わって点から線へ。線から面に。面から立体になる。
読んでいて饒舌なヴィトゲンシュタインという気がしてきた。
『「わたし」という質料』。こんなタイトルで純文学小説を書いてみたら、どうだろう。誰も読まないか。じゃあポルノで。

 

いつにもまして書き飛ばしてしまったが、作者の使うテクニカルタームをまずおさえないことには、先に進めないようだ。

 

「一般に質料は、最初の二項対立を作り出す原因のように扱われる」
「でも、違う。質料は、科学から排除されるべき概念じゃないだろう。二項対立の間を取り持ち、間を作り出して、別の地平にしてしまう、そういう装置だよね」

「間」、間主観性だし木村敏とか、そのあたりの。

ぼくが大学時代、ゼミを履修し、尊敬していた心理学の教授は
唯物論と唯心論の綱渡り」といっていたが、同じようなことだろう。あれか、これか。ではなくて、あれも、これも。

 

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