同情するなら共感を

『わかりあえないことから』平田オリザ著を読む。

「コミュニケーション教育は、口べたな子でも、
現代社会で生きていくための最低限の能力を
身につけさせるための教育だ」

「コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない」

そうか。ぼくたちは、いかにわかりあおうとしていたか。
無理にわかりあおうとしていたかも。
で、コミュニケーション教育やコミュニケーションスキルを
持ち上げすぎていたんじゃないだろうかと。

ここも、ひかれた。

「人間は何かの行為をするときに、必ず無駄な動きが入る。−略−
こういった無駄な動きを認知心理学ではマイクロスリップと
呼ぶそうだ」

「すぐれた俳優もまた、この無駄な動き、マイクロスリップを、
演技の中に適切に入れている。−略−この無駄な動きは、
多すぎても少なすぎてもいけない。うまい(と言われる)俳優は、
これを無意識にコントロールしているのだろう」

たぶん、体調、天候具合、心理状態、客の反応などで
毎回演技は微妙に異なる。

「即興が生み出す、適度なランダムさ加減、マイクロスリップが
演技に新鮮さを生み出してきたのだ」

ロック好きなら、こんな例えがピンとくるだろう。
ドラムのおかずだ。
ジョン・ボーナムリンゴ・スター高橋幸宏では
同じ楽曲でもドラミングは違うだろう。
譜面にはないが、それが、演奏にグルーブを生み出す。
もっとも、最近では打ち込みでもおかずができるらしいが。


作者はアンドロド演出で話題になったが、

「アンドロイドを人間らしく見せるには、マイクロスリップが
重要」

だと。

何でも杓子定規で、無表情で無駄な動きがない人のことを
ロボットみたい。とか言うが。

ここも、ひかれた。

「シンパシーからエンパシーへ。同情から共感へ。これは、いま、他の分野でも
切実な問題となっている」

「エンパシーとは、「わかりあえないこと」を前提に、わかりあえる部分を
探っていく営みと言い換えてもいい」

異文化ギャップ、ズレ、差異も「わかりあえないこと」を根底に置けば
克服できるのだと。
話せばわかる。じゃなくって、話してもわからない。


2月に取材・原稿をまとめたものが、
アップされた。
日立ソリューションズ情報セキュリティブログ
安田浩氏に聞く 「情報セキュリティの今までとこれから」 ―インターネット・リテラシーの本質とは―(前編)



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