『SFの気恥ずかしさ』トマス・M.ディッシュ著 浅倉久志訳 小島はな訳を読む。
随分前に『アジアの岸辺』を読んで以来、久しぶり。批判の言い回しが辛辣なんだけど、おもしろおかしくて、途中、何度も吹き出してしまった。
何か所か適宜引用して、この楽しみをちょいとお裾分け。
SFを児童文学の一部門と作者は考えている
「ミステリは、それがどんなに不出来なものであっても、すべての人間がある程度の悪をなしうることを前提としています。言いかえれば、すべての登場人物が容疑者です。こうした前提は、本質的に子供の経験とは異質であります。といっても、子供たちが自分をそう考えているというだけのことです」
SFとミステリは、ゴシック文学や怪談などから分岐して誕生したのだが。
引用箇所がわかりにくい?なら、この本を読むべし。グレッグ・イーガンなどは、到底児童文学とは思えないけど。
神話とSF
「神話は文学のどこにでも宿るが、特にSFに顕著であり、このカテゴリ―に―略―トールキンからボルヘスにいたるごく現代的なファンタジーの形もすべて入れたい。理由はおいおいわかるだろう。神話の目的は意味を最大化することであり、真理をぎゅうと濃縮することで、いわば料理しなくても飲み込めるようにすることだ。―略―そんなふうに凝縮するために、神話は無意識の深層から自由に素材をとってくる。つまり、いまでも魔法が働き、変身が日常茶飯事な別世界を源泉にする。SFは公的には魔法を否定しているように見えるかもしれないが、それは異端審問を免れるためにすぎない」
的確だよね。
ポーからヴァージニア・ウルフへの系譜
「狂気がもしかすると―略―より高度な英知のひとつの形になるかもしれないという可能性は、何世代にもわたり作家たちの扱う主題になったが、そこにはポーと同じところに分類するのをすぐにはためらうような作家も入っている。ジョイス・キャロル・オーツ、ヴァージニア・ウルフの短篇は、どちらも心理的ホラー、つまり自然主義的ゴシックのこの血脈の最高峰である。―略―狂気は幻視体験のひとつの形だという同じ主題は、より鮮明な形で、私が最高傑作だと思う『ダロウェイ夫人』に現われているからだ」
「心理的ホラー」だと思うと敷居が低くなるかも。
スティーブン・キングが成功した理由
「スティーブン・キングが成功を享受しているのは、恐ろしいものと、もっと恐ろしいもの、最高に恐ろしいものをかぎ分ける。最高に鋭敏な嗅覚に忠実だったからにほかならない。キングが恐れるものとは、残酷さや野蛮さ、狂気、孤独、病、苦痛、死に関する自分や他人の能力、つまり、男性、女性、動物のほとんどの種、自然気象である」
キングのホラー小説を見事に骨抜きにしているのでは。
聖ブラッドベリ祭なんてないんだけど
「毎年8月22日(聖人の誕生日)の日没に、編集者と書評家と関連事業者が聖ブラッドベリ祭を祝う。彼らは精一杯努力して固い決意でのぞんだのに、最後まで読み切れなかった本を集めて束にすると、近場の書類焼却所に持って行く」
この先が素晴らしい。『華氏451度』へのオマージュか。全文はこの本で読むべし。