ぼくの好きなおじさん

おじさんの哲学

おじさんの哲学

 

『おじさんの哲学』永江朗著を読む。
あなたもきっと親族で好きなおじさんがいると思うが。
父親より屈強、頑固ではなく、
話しやすく、でも、意外といつまでも頼りなくて、
青臭さが抜けなくて。
理想を追い求めては失敗したり。
身内からはいい年齢になってもボーヤ扱いされているような。
作者は、そんなおじさん、おじさん的存在が必要だと。

いまどきの叔父さん三銃士、「内田樹高橋源一郎
橋本治」からはじまって作者が叔父さんと見なす人たちを
述べるというもの。

作者とぼくは、ほぼ同世代。ぼくの方が3歳年上だが、
改めて団塊世代に与えた吉本隆明の影響を考えさせられた。
ぼくも吉本は『共同幻想論何冊かなど、試しに読んでみたが、
その魅力がついぞわからなかった。
娘の初期の小説には、まいったけどね。

本だけでなく実際に取材などで会ったり、
あるいはかつて洋書店勤務時代に見かけたり、噂で聞いたりした
おじさんたちの行状が、生々しくてひかれた。

で、叔父さんならぬ『ぼくの伯父さん』ムッシュ・ユロの動画を。
音楽は聴いたことがある人が多いはず。
ぼくの好きなおじさん。

おまけ。honto(旧ビーケーワン)に投稿したレビューを転載。

honto - ソネアキラさんのレビュー一覧

ここで240本のレビューが読める、



『「おじさん」的思考』内田 樹 (著)

カンバック、「日本の正しいおじさん」。

 おじさんの影が薄い。頭髪も薄いが、それにもまして存在のほうが薄い。おじさんが社会や家庭を支える規範として厳然たる力を持っていた頃は、現在よりも状況はマシだったのではないだろうか。賛否両論はあるかもしれないが。

 

作者は「家父長」であり「進歩的文化人」であり「常識」や「社会通念」を備えたモラリストたる「日本の正しいおじさん」の復権をマジで願っている。だから、この本のタイトルってカッコつきの「おじさん」になっている。

 

本書は作者のWebサイトに発表されたものを編集したものである。
団塊の世代であり、全共闘世代でもある作者は、どうも活動家たちとは水が合わなくて、群れることはしなかったようだ。

 

「コンサヴァ」という言葉がある。コンサーヴァティブの略語で、
よく女性誌のファッションページなんかで目にするけど、訳すと保守的ってことになるよね。保守の対立語が革新だとすると、保守ってカッコ悪いよね、イメージが。でも、革新がカッコいいかとなるとそうともいえないわけで。なんつーかビミョーな言葉である。

 

で、なんで貧困なイメージしか浮かばないのかっていうと、政治であり政治家だよね。保守イコール守旧派。だけどさ、そうしてしまったのは、清き一票を持つ有権者だよね。


なんかよごれちまったかなしみを、じゃなくって二宮金次郎のようなおじさんの銅像をゴシゴシタワシでこすってピカピカにしようよといってるのが、本書。

平明な文体である。しかし、鋭い。でも威張ってはいない。自然体とでもいうのか、このスタンスがとてもよろしい。さすが「汝殺すなかれ」のレヴィナス読みというのか、レヴィナシアンの作者にふさわしい慈愛に満ちた意見が多々ある。

 

海外派兵による人的国際貢献に対しては「口だけ言う(行動は起こさない)」「金も出す」しかし「兵士を送りこむことには絶対反対」の立場をとる。それは「国際社会に対して『蔑み』の対象となっても『憎しみ』の対象となってはならない」からである。体面とか沽券とかを捨てて軽蔑される道を行く。まさしくこれは非戦なのだが、オス度の高い、好戦血中濃度の高い人種には耐えられないことだろう。

 

夫婦別姓の実践者には「一人で暮らせばよいではないか」と。まして子どもたちに異なる姓をつけている夫婦に対しては「自分のイデオロギーを実現するために、他人(子どもは『他人』である)を犠牲に供することをためらわないような人間に同感できない」と述べている。

また、フリーターについても「フリーターの社会的機能とは端的に『失業者の隠蔽』である」と。

小津安二郎の映画に「刷り込まれ」、「娘と私」の中年シングルライフを実践していた(その娘が作者のもとを巣立っていったことも書かれている)大学教授なので、育児や教育にも明るい。ぼくは作者より一世代下なのだが、このあたりにシンパシーを感じてしまうのだ。

 

「第四章『おとなになること−漱石の場合』」では、江戸時代から明治時代という転換期の中で漱石が創作活動を通して「『大人』のロールモデルを造型する」その行為を論じている。


明治時代の青年たちは「近代と前近代」のはざまで苦悩するのだが、漱石を近代日本で「最初の大人」に位置づけている。すなわち、それは「おじさん」のプロトタイプなのではないかと思う。
おじさん試作機、おじさん初号が漱石かあ。

ぼくのイメージする正しいおじさんは、矢作俊彦が書いたもろ全共闘世代のスズキさんではなく、なぜか『サザエさん』の磯野波平なのだが。でも、それじゃあ、おじさんじゃなくて、おじいさんか。

 

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