ぼくには、ニオイが見える

オルファクトグラム(上) (講談社文庫)

オルファクトグラム(上) (講談社文庫)

  • 作者:井上 夢人
  • 発売日: 2005/02/15
  • メディア: 文庫
 

 

オルファクトグラム(下) (講談社文庫)

オルファクトグラム(下) (講談社文庫)

 

 『オルファクトグラム』(上)(下) 井上夢人著を読んだ。

 

本作の主人公・片岡はパンクバンドのメンバー。実の姉の家へ遊びに行って、
とんでもない事件に巻き込まれる。姉が何者かに殺されたのだ。
しかも、大量に血を抜くという残虐な方法で。

 

彼も、犯人に殴られ、脳に激しい損傷を受け、1ヵ月余り、生死の境をさまよう。
気がつくと、病院のベッドの上。彼の目には、奇怪なものが飛び込んでくる。

脳の損傷が原因なのだろう、彼は嗅覚が異常に発達してしまったのだ。


大学教授の説明によると、彼は「NOA-ネオコーティカル・オネファクトリイ・エリア、嗅覚野(きゅうかくや)」が損傷を受け、「脳に嗅覚情報を処理するために、視覚野に接続された」のだ。

 

彼の見たものは、匂い(または臭い)の映像だったのだ。
バンドのメンバーでもある恋人とともに彼は、姉が殺された同時期に
行方不明となったバンドの男の消息を追い求める…。

 

ある日、突然、超能力者となった人間への周囲の驚き、あこがれ、
そして当事者だけが知る哀しみ。
そこから先のストーリー展開もなかなかのものだけど、
嗅覚をビジュアル化してしまうその描写が実にリアル。
パソコンに造詣の深い作者は、昨今の低廉で高品質、イージーオペレーションの
3DCGソフトを使って、主人公に嗅覚の画像化を試みさせているが、
一度見てみたいものだ。

 

作品を読むたびに、いつも作者のアイデアに感心させられ、
次に、見事に長篇ミステリーに仕上げる構成力と筆力に脱帽する。
ジャストアイデアで意外と、いいものってたまに出ることがあるけれど、
きちんと一つの面白い作品にまとめるのは、とても骨だと思う。

その点、井上夢人は、見事です。ハズレがないです。
巧妙に仕掛けられたミステリー(なのかある種のSFなのか
線引きしにくいのだが)が読みたい人に、おすすめしたい。

 

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止まらない

 

完全・犯罪 (創元推理文庫)

完全・犯罪 (創元推理文庫)

  • 作者:小林 泰三
  • 発売日: 2012/07/28
  • メディア: 文庫
 

 

くしゃみが止まらない、はなみずが止まらない。
小林泰三本も止まらない。

駒沢公園の桜はちょっとだけ咲いていた。


『完全・犯罪』小林泰三著を読む。

ミステリ―&ホラー&SF小説の名手による5つの短編。

 

『完全・犯罪』
画期的な発明や発見は先行者優位(最初に名乗った人が勝ち)だが、同じような研究をしている人は他にもいるはず。「タイムトラベル理論」で「物理学賞受賞」の水海月博士。悔しがる時空博士。時空博士は「実験データ」を試みようとして結局出遅れてしまった。恨み骨髄。タイムマシンを使って水海月博士を殺す完全犯罪を目論む。おなじみのタイムパラドックス。これがややこしくて。うまくいくどころか、ドタバタ、ジタバタ、カオスとなる。


『ロイス殺し』
「カナダの奥地にある未開の村」。ゴーダン・クロス(元の名はアルフレッド・モスバウム)。ロイスは素行が悪く村の嫌われ者だった。恋人のマリーが犯され、殺される。ロイスの仕業だと、なぜか亡くなったマリーが伝える。彼はロイスへの復讐を誓う。ギャングになってその機を伺っていた。巧みな罠を仕掛ける。ついにロイスは縊死した。彼のアリバイは完璧。完全犯罪は成立か。しかし、悔やむアルフレッド。慰めるマリー。

 

『双生児』
双生児の小説というと村上春樹の『風の歌を聴け』やスティーヴン・キングの『シャイニング』が浮かぶ。双生児の「真帆」と「嘉穂」は、小さい頃からお互いになりすましごっこをしていた。なんでも仲良く共有していた。しかし恋人だけはシェアできなかった。ぼくも双子の女の子とつきあったことがある。自宅に電話をかけたら、てっきり彼女が出たと思って話したら、姉か妹の方だった。声はそっくりだった。

 

『隠れ鬼』
隠れんぼをしていて隠れたまま行方不明、神隠しに遭った子ども。というのは都市伝説の一つだが。「出張帰り」に桜庭貞二は電車の待ち時間があるので河川敷を散歩する。ホームレスと思われるブルーシートハウスから鋭い視線を感じる。突如、男が現われ貞二を追いかける。わけのわからないまま逃げる貞二。男は子どもの頃『隠れ鬼』をして消えた山田中だった。大人になっても、まだ『隠れ鬼』は終わっていなかった。オチが鮮やか。


『ドッキリチューブ』
TVでおなじみのドッキリ。実は仕掛け人が仕掛けられていた逆ドッキリなどがあるが、
ここではTVではなくネット番組でオンエアするドッキリ。それが半端ない設定で過剰演出。制作会社スタッフと経営者がだまし、だまされ。さらに過激に。たとえ殺されても最後に「ドッキリ」というプラカードを出せば許される気がしてくる。

 

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『日本奥地紀行』の本歌取り

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

  • 作者:中島 京子
  • 発売日: 2008/03/14
  • メディア: 文庫
 

 中島京子の『イトウの恋』を読む。

 

イトウは北海道に生息する幻の巨魚で開高健
「イトウや、イトウや」とカン高い声でわめく釣り番組を
覚えているので、そんな話かなと思ったら違った。

 

前作の『FUTON』は高橋源一郎が激賞していて手に取ってみたが、
確かにゲンちゃん好みのひねくれ具合だった。

 

本作は、明治初期に野蛮国日本をインディ・ジョーンズばりに
探検した女性、イザベラ・L・バードの『日本奥地紀行』の本歌取り

『日本奥地紀行』は、いつか読もうと思って未読のまま、今日にいたる。

 

彼女の冒険旅行に通訳として同行したハタチの若者・イトウ(ガイド兼通訳・伊藤鶴吉)の彼女に対する思いを綴った手記を、発見する。
そのままでは現代人は読解できないので、現代語訳で紹介するという
メタフィクション形式。

 

ハタチそこそこの日本人男性が四十代の白人女性に恋をするか。
まず、ここでありえると思う人のみが次へと進める。

 

イトウの子孫である元モデルで現在はバイオレンス青年コミック漫画家と
それに関わる人物たちとのやりとり。


ヴァージニア・ウルフのように明治と平成の時制を
フラッシュバックさせて展開している。

書きようによっては、カズオ・イシグロのように
オールドファッションな悲恋物語にもできようが、
そこはテクニシャンの作者ゆえ、あるいは資質なのか、
さっぱりした作品に仕立てている。

 

イトウの手記だけでは物足りないか。
そこにひとひねり加えた作者の企み。
翻訳調の文体が、時折、外国文学を読んでいるのかと錯覚させてしまう。

 

昔の人とて、昔に戻ればナウな人で最先端の人だったりする。
このあたりは高橋ゲンちゃんが『日本文学盛衰史』で見事に再現しているが、
作者も資料を読み漁り、精緻なジオラマを構築するのに成功している。
だってぼくの脳内には、明治初期の函館や横浜の街並みが浮かんできたもの。

 

イザベラの未開人に接する態度は、いわゆるキリスト教的慈愛に満ちあふれたものだが、この頃撮られた日本人の写真を見ると、ほんとに野蛮人って感じ。
ポストコロニアルの観点から見れば、いくらでも批判できるが、
ま、恋愛小説ですので、ひとつ大目に。

 

イトウもイザベラも互いに好意以上のものを持ってはいたようだが、
さて、どうなったのかは、読んでのお楽しみぃ。

まあこれもエンタメ純文学の系譜なんだろうね。


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民主主義は偏在する、「アテネで発明されたのではない」

 

 

『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』
デヴィッド・グレーバー著 片岡大右訳を読む。

 

「民主主義」という言葉に反感を持つ人は少ないだろう。
民主主義のルーツは西洋にあり、それを旗印に世界の後進国を文明化させた。
そんなイメージが強いが、文化人類学者である著者は「ノー!」を突きつける。

 

西洋=文明的、非西洋=野蛮。
それが「西洋的眼差しの欺瞞」だと。

「民主主義はアテネで発明されたのではない」

と。
さらに

「この言葉を考案したエリート主義者たちは、民主主義というものをつねに、単なる暴動や暴徒支配(モブ・ルール)とそう変わらない者とみなしていた」

ふと、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」かなと思ったのだが。

 

「フランス語版のためのまえがき」でアラン・カイエのグレーバーの要約の一部引用

 

「「西洋文明」とは際立って一貫性を欠いた概念であるけれど、それが何かを指し示しうるとしたら、ある知的伝統を指し示すと言うことができる。この知的伝統は全体的に、私たちが民主主義として認めるようなものすべてに敵対的であって、その点ではインドや中国やメソアメリカの伝統とまったく変わりない」

 

「「民主主義的実践―平等志向の意思決定プロセスは―略―ほとんどどこにでも生じる。」つまりは時間的または空間的な「あいだ」の空間に生じる」

 

【付録】『惜しみなく与えよ―新しいモース派の台頭』D.グレーバーより引用。

 

グレーバーはマルセル・モースの『贈与論』から「贈与経済」こそ現在の経済が抱える課題を解消する一つの手立てだと力説している。一般的な経済では利潤追求や蓄積を第一義にしているが、「贈与経済」は。「最も多くを与え、手放す」ことを第一義にしている。

 

カナダ・ブリティッシュコロンビア州のクワキウトル族を一例に紹介しているが、ここはポトラッチを明記すべきだろう。ぼくはバタイユの一般経済学で知ったが。

「多くの点で、モースの分析は疎外化と物象化についてのマルクス主義的諸理論と際立った類似を示している」

斎藤幸平のマルクスの「新解釈」とリンクしているようだし。

「今日私たちが経験しつつあるのは民主主義の危機ではなく、むしろ国家の危機である。ここ数年というもの、民主主義の実践と手続きに対する関心の大規模な復活が、グローバルな社会運動内部に認められるようになった。けれどもこの関心の蘇りは、ほとんど完全に国家主義的枠組みの外部から生じたものなのだ。民主主義の未来はまさしくこの領域にある」

つまり「あいだ」だ。

その過激な物言いにはまってしまいそうだ。
早逝を惜しむ。

 

『人新世の「資本論」』斎藤幸平さんインタビュー マルクスを新解釈、「脱成長コミュニズム」は世界を救うか|好書好日

 

人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む 人間の本性、対立超えると信じた 批評家・片岡大右さん寄稿

 

soneakira.hatenablog.com

 

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10年たったけど

 

大きな森の小さな密室 (創元推理文庫)

大きな森の小さな密室 (創元推理文庫)

  • 作者:小林 泰三
  • 発売日: 2011/10/22
  • メディア: 文庫
 

 

10年ひと昔というが。思い出すと喪失感と失望にさいなまれる。
なんで読書に逃げる。ベイビー、逃げるんだ。

 

『大きな森の小さな密室』小林泰三著を読む。
7篇のテイストの異なるミステリ。
目次にタイトルの後にミステリのカテゴリーが書いてある。
著者の作品ではおなじみの本音女子新藤礼都や自作PC派、神出鬼没の徳さんなど
クセの強いキャラクターが「探偵」に扮する。
感心したり、ゾッとしたり、失笑したり。
ちょっとだけ、さわりを。

 

「大きな森の小さな密室 犯人当て」
金貸しの男が別荘で殺されていた。密室殺人か。犯人は。

 

「氷橋 倒叙ミステリ」
女性作家と担当編集者の恋の顛末。氷は昔から刺せば溶けて証拠が残らない凶器とかだが、ハデに仕掛けた。

 

「自らの伝言 安楽椅子探偵
コンビニでのアルバイト女子3人のかみ合わない会話がメイン。そっか、「水からの伝言」の揶揄がモチーフか。

 

更新世の殺人 バカミス
見つかった遺体。なんと「死亡推定時期は150年前」だった。超限探偵∑が登場するが。

 

「正直者の逆説 ??ミステリ」
丸鋸教授と助手がとてつもない辺鄙な別荘に行く。殺人事件が起きていた。カテゴリ―に括れないミステリ。

 

「遺体の代弁者 SFミステリ」
前向性健忘の田村二吉は博士に自身の海馬に「被害者の記憶」をとどめている海馬の一部を移植させられる。そうすれば「その人間が被害者の記憶を思い出してくれる」。デビッド・クローネンバーグの映画のよう。

 

「路上に放置されたパン屑の研究 日常の謎
「同じ場所の17か所にパン屑が落ちていた」なぜ?田村二吉と徳さんが謎を解く。つーか、抜群のナンセンスもの。

 

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哀しい唄だけがブルースじゃない。私は私の唄を歌う

 

ブルースだってただの唄 (ちくま文庫)

ブルースだってただの唄 (ちくま文庫)

  • 作者:藤本 和子
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 文庫
 

 

『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』藤本和子著を読む。

『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』藤本和子著の続篇的本。

 

黒人であること、女性であること、
このダブルの差別に迷いながら、あるいは道を踏み外しながらも
きっちりと自分の生き方を見つけた女性たち。

二人だけピックアップ。

 

ジュリエット・マーティンの場合

 

刑務所の臨床心理士となったジュリエット。
彼女の両親は彼女により良い教育を受けさせたいと
仕事を増やして「名門のカトリック女子高」へ進学させる。
「最下層の生徒」だったという。最初入学した大学は退学。
「ウェイトレスの仕事をしながら」短大、大学を卒業し、大学院へ。
「心理学の博士号をもっている」彼女。
「高等教育を受けたが、教育に幻想を抱かない」

 

ウィルマ・ルシル・アンダーソンの場合

 

ウィルマが12歳のとき、母親が亡くなった。13歳のとき、父親は再婚。
彼女と妹は放逐される。彼女は「16歳で結婚した」。
「6人目の子が生まれたとき、夫は」愛人の女性といた。
家に生活費も入れない夫。まもなく彼女と愛人が諍いとなって殺してしまう。
裁判では終身刑が言い渡されるが、嘆願が認められ減刑。夫とは離婚した。
14年間刑務所暮し後、仮釈放となる。
「子どもたちは失った」。いまは彼女のような立場の女性の「助け」になりたいと
考えている。

 

黒人にとって自分たちの肌の色の違いが、そんなに気になるとは。
「色の黒い黒人」と「色の黒くない黒人」。

たとえば父親が黒人で母親が白人の場合、
見た目が白人の子どもが生まれることも。
兄弟・姉妹で肌の色が異なる場合も。

黒人たちは否応なしにも肌の色にこだわるが、
白人から見れば皆同じ、黒人。一括りで、黒人。

 

メーガン妃が「白人の父親、アフリカ系黒人の母親を持つミックスド・レース( 混血)」ゆえ生まれてくる子どもの肌の色が英国王室で話題になっていたそうだが。


彼女たちにはタフとかハードボイルドが似合う。
お涙頂戴のブルースなんてごめんだね。

ブルースだけが唄じゃない。私は私の唄を歌う。

 

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わたしと短歌、わたしたちと短歌

 

あの人と短歌

あの人と短歌

 

 

『あの人と短歌』穂村弘著を読む。

著者の短歌をはじめて読んだとき、新しいと思った。
なんつーかキャッチ―だった。

 

長年の習慣で夜、ラジオをつけたまま寝る。
日曜日の夜は民放のラジオ局が早じまいするので
NHKラジオ深夜便』を聞きながら眠る。
明け方『ほむほむのふむふむ』をやっている。
著者のやさしい声と軽妙な話を聞きながら、
短歌の見方や作り方を教わる。

 

座談の名手といってもいい著者の「対談集」。
作家、エッセイスト、歌人、詩人、俳人などがゲスト。
短歌をコアに自在に楽しく語り合っている。
その振れ幅の大きさも魅力だろう。

いくつか惹かれた部分を引用。

 

北村薫(作家)との対談」

「北村 つまり、「韻文がかっこいい」という感覚がなくなってしまった。寂しいですね」
「北村 韻文が持っている、文語の素晴らしさを再確認する機会が
必要なのでしょうね」

 

「三浦しおん(小説家)との対談」

「穂村 (短歌が)生な自己表現に近づいたために、添削すると「勝手に何してくれんの?」となってしまうわけです。そして、「俺的に違う」と言われてしまうと、こちらがいくら短歌としてより良い表現を提案しても、それ以上の説得は難しくなる」

 

朝吹真理子(小説家)との対話」

「穂村 見方によっては、時間は不可逆でもなんでもない。なぜなら脳内では、つまり想念の中では、時間なんて平気で進んだり戻ったりするものですからね。その自由さを取り込めれば、もっと面白い形式の短歌が生まれ得ると思っています」

 

「小澤實(俳人)との対話」

 

「小澤 俳句は短歌に比べると圧倒的に短いです。それで思念を詠むのは不可能です。ものを核に詠む形が中心になる。ものが読者の中で連想を広げる。それが紙型の個性になっていると思います」

「穂村 僕には、短歌は二次元的、俳句は三次元的に感じられるんです」

 


俵万智(歌人)との対話」

「俵 情報量が少なく、歌い手の言いたいことがストレートに伝わってくる歌は、読者が自身の中にある似たような体験とか記憶とか、その人の中に眠っているたくさんの情報を引き出すことができると思うんです。少なくとも自分の歌に関しては、そういうものが一つの理想としてあるんでしょうね」

 

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