中島京子の『イトウの恋』を読む。
イトウは北海道に生息する幻の巨魚で開高健が
「イトウや、イトウや」とカン高い声でわめく釣り番組を
覚えているので、そんな話かなと思ったら違った。
前作の『FUTON』は高橋源一郎が激賞していて手に取ってみたが、
確かにゲンちゃん好みのひねくれ具合だった。
本作は、明治初期に野蛮国日本をインディ・ジョーンズばりに
探検した女性、イザベラ・L・バードの『日本奥地紀行』の本歌取り。
『日本奥地紀行』は、いつか読もうと思って未読のまま、今日にいたる。
彼女の冒険旅行に通訳として同行したハタチの若者・イトウ(ガイド兼通訳・伊藤鶴吉)の彼女に対する思いを綴った手記を、発見する。
そのままでは現代人は読解できないので、現代語訳で紹介するという
メタフィクション形式。
ハタチそこそこの日本人男性が四十代の白人女性に恋をするか。
まず、ここでありえると思う人のみが次へと進める。
イトウの子孫である元モデルで現在はバイオレンス青年コミック漫画家と
それに関わる人物たちとのやりとり。
ヴァージニア・ウルフのように明治と平成の時制を
フラッシュバックさせて展開している。
書きようによっては、カズオ・イシグロのように
オールドファッションな悲恋物語にもできようが、
そこはテクニシャンの作者ゆえ、あるいは資質なのか、
さっぱりした作品に仕立てている。
イトウの手記だけでは物足りないか。
そこにひとひねり加えた作者の企み。
翻訳調の文体が、時折、外国文学を読んでいるのかと錯覚させてしまう。
昔の人とて、昔に戻ればナウな人で最先端の人だったりする。
このあたりは高橋ゲンちゃんが『日本文学盛衰史』で見事に再現しているが、
作者も資料を読み漁り、精緻なジオラマを構築するのに成功している。
だってぼくの脳内には、明治初期の函館や横浜の街並みが浮かんできたもの。
イザベラの未開人に接する態度は、いわゆるキリスト教的慈愛に満ちあふれたものだが、この頃撮られた日本人の写真を見ると、ほんとに野蛮人って感じ。
ポストコロニアルの観点から見れば、いくらでも批判できるが、
ま、恋愛小説ですので、ひとつ大目に。
イトウもイザベラも互いに好意以上のものを持ってはいたようだが、
さて、どうなったのかは、読んでのお楽しみぃ。
まあこれもエンタメ純文学の系譜なんだろうね。