『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』
デヴィッド・グレーバー著 片岡大右訳を読む。
「民主主義」という言葉に反感を持つ人は少ないだろう。
民主主義のルーツは西洋にあり、それを旗印に世界の後進国を文明化させた。
そんなイメージが強いが、文化人類学者である著者は「ノー!」を突きつける。
西洋=文明的、非西洋=野蛮。
それが「西洋的眼差しの欺瞞」だと。
「民主主義はアテネで発明されたのではない」
と。
さらに
「この言葉を考案したエリート主義者たちは、民主主義というものをつねに、単なる暴動や暴徒支配(モブ・ルール)とそう変わらない者とみなしていた」
ふと、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」かなと思ったのだが。
「フランス語版のためのまえがき」でアラン・カイエのグレーバーの要約の一部引用
「「西洋文明」とは際立って一貫性を欠いた概念であるけれど、それが何かを指し示しうるとしたら、ある知的伝統を指し示すと言うことができる。この知的伝統は全体的に、私たちが民主主義として認めるようなものすべてに敵対的であって、その点ではインドや中国やメソアメリカの伝統とまったく変わりない」
「「民主主義的実践―平等志向の意思決定プロセスは―略―ほとんどどこにでも生じる。」つまりは時間的または空間的な「あいだ」の空間に生じる」
【付録】『惜しみなく与えよ―新しいモース派の台頭』D.グレーバーより引用。
グレーバーはマルセル・モースの『贈与論』から「贈与経済」こそ現在の経済が抱える課題を解消する一つの手立てだと力説している。一般的な経済では利潤追求や蓄積を第一義にしているが、「贈与経済」は。「最も多くを与え、手放す」ことを第一義にしている。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州のクワキウトル族を一例に紹介しているが、ここはポトラッチを明記すべきだろう。ぼくはバタイユの一般経済学で知ったが。
「多くの点で、モースの分析は疎外化と物象化についてのマルクス主義的諸理論と際立った類似を示している」
斎藤幸平のマルクスの「新解釈」とリンクしているようだし。
「今日私たちが経験しつつあるのは民主主義の危機ではなく、むしろ国家の危機である。ここ数年というもの、民主主義の実践と手続きに対する関心の大規模な復活が、グローバルな社会運動内部に認められるようになった。けれどもこの関心の蘇りは、ほとんど完全に国家主義的枠組みの外部から生じたものなのだ。民主主義の未来はまさしくこの領域にある」
つまり「あいだ」だ。
その過激な物言いにはまってしまいそうだ。
早逝を惜しむ。
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