NHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』などでナチや第二次世界大戦を見ていたが、改めて本で読みたいと思った。で、手にしたのが『ナチスの戦争1918-1949 -民族と人種の戦い-』リチャード・ベッセル著 大山 晶訳。さまざまな発見があった。以下、ランダムに。
「(第一次世界大戦中に)皇帝は退位し、社会と経済が混乱するなか、帝政は面目を失い崩壊して戦争が終わった。ドイツ人が敗北から想起するのは、1918年に数十万のアメリカ軍によって増した連合軍の強さではなく、ドイツ自体の崩壊である」
敗北感より自滅感が強いのは意外だった。
「ドイツ人が本当は敗北を受け入れておらず、戦時から1918年以降の平時へ、社会の切り替えが進んでいないことを意味した。ヴェルサイユ条約の「絶対的命令」や民主的な政治家、いわゆる「11月の犯罪者」、富裕層、ユダヤ人、外国人に対してしきりに表明された憎悪は、大部分が第一次世界大戦の遺物だったのである。これにより、憎悪に基づく政治運動ができあがった」
ヴァイマル憲法で知られる「世界で最初の民主的国家といわれるヴァイマル共和国」が短命に終わったのはそういうわけだったのか。
「ヴァイマル体制が崩壊した際、つまりドイツの有権者が既存の政党への信頼を失い、経済的・政治的危機が1930年代初頭に達した際、ナチのメッセージは多くの有権者に恨みのはけ口や攻撃の矛先をどこに向けるべきかを示し、復讐とよりよい未来への希望を約束した」
ナチは、当時のドイツの有権者の民意を汲むポピュリズムに長けた政党だった。
「ドイツは固有の領土だけでは住民を養うことができない。ゆえに農地がもっと必要だという考えは、第一次世界大戦をきっかけに広く受け入れられていた」
「「生存圏」と「血と土」というナチの思想は、「アーリア人種」の繁殖を進める考えと緊密に結びついている」
優秀な「アーリア人種」を産めよ殖やせよ。そのためには領土の拡大が必須だった。優生学からの断種など非人道的な施策も行われた。
「(第二次世界大戦の)対ソ攻撃で、ナチズムの怖ろしさはもっとも強く認識された。ソ連の「ユダヤ=ボルシェヴィキ」体制をその生物学的基盤(ユダヤ人という「人種」)ごと粉砕するという目標は、ドイツ人が定住するのに適した広大な植民地の獲得、スラヴ人の殺戮とドイツ人への隷属、経済封鎖に耐えうる自給自足の可能な巨大経済地域の確立という目的と結びついた、ナチの戦争は単なる集団殺戮の場ではない。戦争そのものが人種主義の表現であり、政権はそれを実行に移した。ナチの人種闘争イコール戦争だったのである」
ナチは対ソ戦を短期でケリがつくと思っていたそうだ。ソ連では大量の死傷者が出たが、戦いを止めなかった。「独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1,470万人、ドイツ兵が390万人」だそうだ。やがて弾つき、食糧もつき、兵力もつき。
敗戦が濃厚になってもナチに降伏の二文字はなかった。ヒトラー以下幹部たちは最後には自決を選んだと。しまいには、捕虜はおろか自軍の脱走兵までとにかく殺しまくったと。日本軍よりも往生際が悪いというか。元祖「死ね死ね団」*じゃん。
第二次世界大戦後
「ナチ政権の敗北とナチが犯した行為の発覚により、少なくとも西欧ではあからさまな反ユダヤ主義は政治の舞台から排除されたものの、ナチズムに始まったわけではない人種に対する偏見は、ナチズムで終わるものでもなかった」
現在にいたるわけで。地中深いところでたぎる反ユダヤ主義というマグマの一表象がナチだったのだろう。
「1945年以後のドイツにおいて、ナチズムは二重の意味で葬られた。大衆の支持を引きつけられる政治ムーヴメントおよびイデオロギーとして葬られ、さらには大衆の記憶のなかで葬られたのである。―略―ドイツ人の目から見れば、自分たちはナチズムの加害者ではなく戦争の犠牲者なのだった。この認識が実際に疑問視されるまでには、少なくとも一世代の時間を要することになる」
「自分たちはナチズムの加害者ではなく戦争の犠牲者なのだった」この方便、あちこちで聞いた気がする。
*「死ね死ね団」
[レインボーマンに変身するヤマトタケシと、死ね死ね団の戦いを描いたテレビドラマ。
敵対する勢力死ね死ね団は、ヒーローものにありがちな架空の宇宙人や怪人ではなく、日本人を憎悪し日本国家の滅亡と日本人撲殲滅を企む組織死ね死ね団で、現実の外国人[注釈 4]によって組織された集団である
愛の戦士レインボーマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]