星は、なんでも知っている

 

 

『せちやん 星を聴く人』川端裕人著を読む。


ふう〜っ。読み終えてから、ため息をついた。甘酸っぱいなあ。あの日に帰りたい。ではないが、ふと、仲の良かった友人は、どうしているんだろうと、ぼくも、ちゅー坊の頃を思い出してしまった。

 

作者の書くものって、いつもアメリカの青春映画のようにバタくさい。時には、読んでて気恥ずかしくなるとこもあるんだけど、じんとこさせるツボのおさえどこが、うまいんです。

ストーリーは、こうだ。ちゅー坊3人組が、何やら、怪しげなことを企んでそうな、家を発見する。秘密基地のようなその家で、怪しげな男と知り合う。「せちやん」こと、摂津知雄は親の遺産で悠々自適な暮らしをしている。ま、昔でいえば高等遊民。宇宙や地球外生命体に興味があり、ハンドメイドで素晴らしいマイ・プラネタリウムをこしらえてしまう。

 

主人公たちは、天体や宇宙の虜になってしまう。しかし、まもなく彼らは、自分たちの道を進み始める。少年から青年へ、青年から中年へ。山あり、谷あり、その折々に、忘れた頃、せちやんが絡んでくる。

 

残念だけど、人は、年齢を重ねるにつれ、夢を見なくなる。見なくなるし、夢の色も褪せていく。ある意味、仕方のないことなのかもしれない。

 

ラストの「よごれちまつた」主人公の行動が、泣かせる。「星を聴く」の意味も判明する。

 

ファンタジーなのか。SFなのか。そんなことは、どうでもよろし。ぼくは、一気に読んでしまった。

 

膝を故障した元野球少年の主人公が、一時期、陸上競技に転向して、ハイジャンプであたかも空を飛ぶような跳躍シーンの描写が印象的だ。

 

夏休みに、仙台郊外の温泉ホテルに行った。夜、玄関先で、子どもたちが、花火をしていた。ちょうど火星が大接近していて、テレビのニュースなどで騒がれていた頃だ。火星は線香花火の最後のまんまるの赤い玉のように、月のそばで、小さく鈍い光を放っていた。「あ、流れ星」と子どもが叫ぶ。目をやると、飛行機だった。


想像でネタばらしをしてしまうと、せちやんの「せち」は「SETI」であり、つまり、地球外生命体を探す計画のことをも意味に込めているのだと思う。

 

ぷらっと、図書館に併設したプラネタリウムに入ってみるか。この本の主人公にシンクロして、うるうるするかもしれないが、なに、暗闇だからわからないだろ。


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