「ひとりの人間を一冊の書物のように読もうとするこころみ」

 

 

『ヴァージニア』倉橋由美子を読む。


読み直し、倉橋由美子の二冊目。


新潮文庫の倉橋作品は背表紙が緑色。当時のガールフレンドの本棚にあったし、妻の本棚にも、あった。ジャズ喫茶で煙草をくゆらせながら、倉橋由美子を読むっていうのは、当時のトレンドだったかも。


秋吉敏子のアルバムに『孤軍』という名盤があるが、倉橋由美子も孤軍奮闘の反リアリズム、通常の小説スタイルに反旗を翻した(女性)作家という位置づけなのかな。

 

以下荒筋とか、感想とか。

 

『ヴァージニア』 
アイオワ州立大学に留学した経験をもとに、ヴァージニアという二人の子どもがいるスウェーデン人女性の生き方を通してアメリカ文化や滞在先のアイオワと日本を比較、批評した1968年の作品。「ひとりの人間を一冊の書物のように読もうとするこころみ」と書いている。ヴァージニアは写真を学んでいる27歳の女子大生。性に奔放な女性。男性ヌードやベッドインのさまを写真撮影している。懐かしの「フリー・セックス」という言い回しが出て来る。端々に伺える著者の見識の高さは、鋭く、面白い。たとえばoni(鬼)についてヴァージニアから問われた時の返答など。スーザン・ソンタグの著作にも通じる。離婚歴があり、現在の夫とは別居中。同じ大学で映画を撮っている男に熱をあげている。今なら日本でも、かような女性は珍しくないだろう。

 

『長い夢路』
人はいまわの際に、走馬灯のように人生が回想されるという。作家のまり子がアメリカから生家に駆けつけた時、父親はその瞬間を迎えていた。死相が浮かぶ父の顔は、能面にも、アマゾンの未開人がつくる生首のミイラ、ギリシャ悲劇のキャラクターにも見えた。あの世とこの世をふらふらしている父親。そこにやって来た恋人の高津。いまは大学の助教授。かつてプロポーズされたが、結婚へは進展しなかった。歯科医だった父親は跡を継ぐはずの息子のために抜歯した歯を研究用として大量に保存していた。閻魔大王の使いの者が来ても断ろうとする。臨終を迎えるまでの父親の生と死の猛烈なせめぎ合い。まり子と高津の結婚の行方は。

 

『霊魂』
心臓の奇病に罹ったM。婚約者のKに、亡くなったら私の霊魂が行くと言う。そしてMは亡くなる。葬儀が終わると、話した通りMの霊魂が現われる。話すと確かにKだった。霊魂を抱きしめる。霊魂のMは、本人よりもなんだか快活だった。その夜、ベッドで一緒に眠る。ふくらむよからぬ妄想。理性が勝っていた。二人の奇妙な同棲生活がはじまる。一緒に入浴する。Kは霊魂だけではなく肉体も欲しがる。その要求にこたえる。そしてMの霊魂はKに霊魂になることを望むようになる。フェミニズムSFぽい作品。

 

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