「人工選択淘汰の時代」とは

 

 

定期健診で午前中がつぶれる。

 

『情報エネルギー化社会―現実空間の解体と速度が作り出す空間』ポール・ヴィリリオ著 土屋進訳を読む。

 

断片集というのか、短文の連なりが、読みやすい。文学的、詩的なのかなあ。「スモールネットワーク」の概念も、作者の表現だと、随分、持って回ったいい方になる。でも、こういう書き方も、自分の考えを伝えるのにはいいかも。

 

ぼく自身、どうも読んでいて頭が痛くなるような、舌を噛みそうな文章を、ありがたがるきらいがあるけれど、すらすら読めるほうがいいや、やっぱり。それと、引用がうまい。ニーチェ、メルロ・ポンティ、バルザックドーキンスなど広範なジャンルの人の著作から、適切な箇所を引いてくる。

 

ぼくが引いたのは、オリジナルの部分。

 

「明らかにされた退行進化は、私たちを自然選択淘汰から技術科学の発展の成果である人工選択淘汰へと向かわせているかもしれない。もとしそうだとすれば、歩行人間の物理的肉体(キルケゴール)は、それに取って代わることのできる本当の意味での形而上学的肉体の出現によって徐々に有用性を失うだろう」

 

「「プロレタリアアート」の歴史がお払い箱になったのに続き、今度は器官内のナノテクノロジーによって旧式化した人間生理器官が排除され、廃棄されるのではないだろうか」

 

イーガンのSF小説のようではないか。

 

スポーツでの薬物使用、いわゆるドーピング問題は、もはや「旧式化した」生身の肉体で、人間の運動能力の極限状態に挑む姿勢に反する、アンフェアだから禁じられているが、身につけるスイミングウエアやシューズは、それこそ最新テクノロジーの「人工選択淘汰」の産物であり、よく考えてみると、矛盾してることになるのではないだろうか。レーザー・レーサーは禁止になったけど、ナイキ製の厚底シューズは禁止になっていない。

 

メガネやコンタクトレンズを買い替えるように、眼球なども最新型に取り替える時代が来るのかもしれない。片眼球無料とか、ルイ・ヴィトンブランドの眼球とか、使い捨て眼球とか。

 

「人工選択淘汰」は、それこそ主体のすり替えであり、消極的な主体の放棄であり、
「無痛文明」にもつながっていく。

 

押井守監督「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の続篇「イノセンス」のゲンドウ(碇ではない)のように、ほぼ「義体」化しても、それは自らの意志でしたわけだし、うーむ。

 

人造人間キカイダー』の主人公は人間か機械か、セルフアイデンティティに苦悶していたが。


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