伍長から独裁者へ、妻から帝国の元首へ

 

 

『妻の帝国』佐藤哲也著を読む。

 

妻が実は魔女だったというアメリカのTV人気コメディーがあったが、こっちは妻がほんとうは帝国の元首だったというお話。

 

朝な夕な妻は莫大な枚数の指示書をワープロで打ち-後に夫のパソコンで打つようになる-切手を貼って投函する。やがてガン細胞のようにふくれあがった組織は蜂起して新体制を樹立する。それがその地域だけなのか、地方だけなのかは定かではない。善良な一般市民は制服を購入して、身を包み、軍靴を履き、武器を手にして、忠実な党員となる。ヒトラーのナチ党員か、文化大革命時の紅衛兵のごとき存在なのだろう。

 

おなじみの焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)ありいの、贅沢品の供出ありいの、のシーンが出て来る。食べ物や飲み水にも困るようになってくると、サヴァイバルに長けた知恵のある者が、のさばるようになっていく。こうなってしまうと頭デッカチのインテリゲンチャは、無力だよなあ。

 

命令されることの心地良さは否めないし、まわりくどい手続きを踏むんでも、埒が開かないとなると暴力というショートカットで事態を一気に解決することだって決してノー!とはいえない。それが正義であれ、悪であれ。民主主義が行き詰まってくると、政治への不信、社会への不満を骨や肉として大衆は、ヒーロー(あるいはモンスター)をつくり出す。それが本書では、かなり地味目の女性という意外性のある設定が、利いている。

 

やがて権力は、妻の手の元を離れ、どこか別なところで動くようになる。妻のビジョンが現実のものになるにつれ、どんどんズレたものになっていく。真綿で首を絞められるように怖さがじわじわ来る。

 

政治哲学者ハンナ・アレント全体主義概念を引用するならば、「全体主義思想は、不確定でアモルフ(無定形)な人間に全体的な世界観を示し、それを限りないテロル(警察権力と強制収容所)の使用によって実現したのである」

 

鋭い!これって、いま、騒がれている将軍様の国ではないか。作中の登場人物の顔が余り見えてこないのは、当然のことなのだろう。

 

不条理小説が最後まで破綻することなく、また口さがない読み手を飽きさせることなく、無用なツッコミを入れさせるスキを与えず、読ませてしまうのは、作者の筆力と構成力のなせるワザである。

 

作者はジョージ・オーウェルの『1984年』とソルジェニーツィンの『収容所列島』とフェリーニの『そして船は行く』にインスパイアされたと述べているが、読んでみるといろんな味わいがした。えーと、当然、カフカでしょ、『未来世紀ブラジル』、連載打ち切りとなった山上たつひこの『光る風』などなど。

 

薄気味悪いリアリティを感じて、背筋が寒くなった。なんとなくキナくさい今の時代の空気が存分に伝わる。近未来反ユートピア小説としてかなりの出来の作品である。

 

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