人を喰ったようなタイトルのクールなゾンビ・ミステリ―

 

 

『わざわざゾンビを殺す人間なんていない。』小林泰三著を読む。

 

ゾンビというと、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が浮かぶ。モノクロ画面で首を傾げ行進する不気味なゾンビの集団。

ヴードゥ教というと、アラン・パーカーの『エンゼル・ハート』かな。
映画を見たが、凄み、えぐみはあったが、腑に落ちず、原作、ウィリアム・ヒョーツバーグの『堕ちる天使』も読んだが、よくわからなかった。


遺体活性化現象が世界各地で起きていた。原因はゾンビウイルス。実態は「ウイルスよりもプリオンに近いもの」。ああBSE狂牛病)のプリオンね。活性化が起きるのは「新しい死体」で「復活すると」人間に「噛み付く。噛み付かれた人間が死亡すると新たな活性化遺体になる」。さらに噛み付かれなくてもゾンビが出没する地域では、ゾンビになるのだ。

 

「民間医療研究機関・アルティメットメディカル社の主幹研究員・葦土健介」が、社主催の研究発表も兼ねたパーティー当日、パーティー会場である同社「執行役員の有狩邸」の密室でゾンビになった。自殺か他殺か。葦土は有狩に撃たれる。

 

それを聞きつけた探偵・八つ頭瑠璃が頼まれもしないのに捜査に駆けつける。
なかなかのハードボイルドぶり。行動力もあるし、度胸もいい。

 

犬も歩けばゾンビに当たる。てな状態でいたるところに野良ゾンビ(収容所に収容されていないゾンビ)、家畜ゾンビ(収容所に収容されてるゾンビ)がいる。それに目をつけ見た目はゾンビと変わらないゾンビイーター(ゾンビ狩りをしてゾンビの肉を食す)も出る。

 

「活性化遺体活用法が制定」され、食用が法的に認められる。ブラックだけど。
リサイクル、リユースの一環か。モッタイナイ精神?

 

最も驚いたのは、パーシャルゾンビ。全ゾンビじゃなくて部分ゾンビ。
身体の器官など一部をゾンビ化することで不死身となるってことかな。
機械の体じゃなくてゾンビの体。いやあ著者の想像力には脱帽。
葦土の事件にもこのパーシャルゾンビが絡んでいる。
そして探偵・八つ頭瑠璃にも。彼女は姉の沙羅と肉体を一にした結合双生児だった。

これが表紙のイラストか。


作者のゾンビ蘊蓄も読ませる。たとえば、こんなところ。

「人々が死者の復活で連想したものはゾンビだった。これは近年のアメリカ映画の影響が大きい。ゾンビというのは、元々、ヴードゥ教というアフリカの民間信仰に登場する呪術で生き返った死体のことで、単なる奴隷として使役されるものであり、さほど危険なものではない。だが、アメリカ映画におけるゾンビは吸血鬼の要素が加味されており、ゾンビに噛み付かれたものもまたゾンビとなる。本来のゾンビの概念と区別するという意味で、このようなハリウッドタイプのゾンビを「活ける死体(リヴィングデッド)などの名称で呼ぶこともあるが、現代では多少の違いは気にせずに、ゾンビと呼ぶのが一般的になっている」

 

さて、この本。人を喰ったようなタイトルだが、ゾンビ・ミステリ―という作者ならではの世界がクールに展開する。

 

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