スタイリッシュな「科学の社会論」

自然 まだ見ぬ記憶へ

『自然 まだ見ぬ記憶へ』港千尋著を読む。

 

クローン羊ドリーが誕生してから、わずかな年月で本格的なヒト胚のクローニング研究に着手している。このES細胞は、あらゆる器官をつくる始原細胞、文字通り「ヒトの種子」として、新薬治療の開発から移植用臓器まで期待されている。永年フィクションにしか過ぎなかったクローン人間も、技術的には、もはや夢ではなくなろうとしている。倫理観、宗教心などから世界各国では、法律で禁止されているが。

 

本書によれば、20世紀は、「科学と技術によって、爆発的な増大化と精密化を見た現実の世紀」であったという。すなわち、「科学的発見は、『増大化する現実』と『精密化する現実』をもたらす」。

 

作者は前者の一例として地質学の進歩を挙げている。すなわち、「上位に位置する地層が下位のものより新しいという『地層累重の法則』が19世紀に発見され、それ以降の生命の進化史の基礎的な認識」となった。

 

後者の一例としてナノテクノロジーを挙げている。バイオテクノロジーの次はナノテクノロジーなどとかまびすしく叫ばれているが。「『ナノメートル(1ナノメートルは百万分の1ミリメートル)』という単位が、物質の基本単位の観察や試料の解析、そして新しい物資の生成に使われるような精密さへと突き進んでいる」。


さらに、作者は「『原子爆弾』の発明とその行使により、正負両方の未来を潜在的にもつ『第三の現実』が生じたことである」と述べている。

 

本書は、「科学の社会論」という観点から、自然、生命、ゲノム、クローンなど科学、中でも生命科学が抱えている様々な課題が、とても端正な文章で綴られている。事の本質に対して、時には、発見させられたり、深く考えさせられたりもする。余りにもスタイリッシュすぎて、優等生の書いた非の打ちどころのないレポートといった印象も否めなくもないが。

 

想像もできないリスクを孕んだ便利さを取るか、半世紀ばかり昔に遡ったかのような不便さを取るか。科学(または技術)に対して、現在ほど、その選択を迫られている時代はないだろう。本書は、そのポータルサイト的役割を果たす一冊である。

 

2000年に出た本だが、いま読んでも考えさせられる。

 

人気blogランキング