短篇と断片と断面

 

 

『もう死んでいる十二人の女たちと』パク・ソルメ著 斎藤真理子訳を読む。

 

なかなか先へ読み進むことができなかった。あ、そうか、小説よりもむしろ詩、散文詩を読むときの読み方にすればいいのかと。うまく説明できないが、ふつうの小説はすべて説明してくれる。この本は、そうではない。読み手に想像力を求める。なぜこのようにう書いたのか、一切は文字になってはいない。行間にあるものを読み手も考えなさいと。スパっと切った人生の断面と断片。

 

なら、難しいのか。そんなことはない。なら、面白くないのか。十分に面白い。

何篇かのあらすじと感想のようなものを。


『そのとき俺が何て言ったか』
カラオケ店のオーナーに突然、きちんと歌わなければお前も友人も痛めつけてやると言われた女子高生。彼のスマホには拘束されている友人の画像が。いわば不条理的暴力世界。電車内での一連の「通り魔」事件を思い浮べた。

 

『じゃあ、何を歌うんだ』
私はカリフォルニア大学バークレー校で韓国系アメリカ人のヘナと知り合う。3年後に再会する。その間、京都を訪問した。バークレーと京都で偶然、光州や光州事件について話す機会があった。光州生まれの私には、その事件は遥か昔のことなのだが。キムジョンファンの詩『五月哭』が重要なキーとなる。ソウルへ韓国語を学ぶために留学してきたヘナと私は、光州事件追体験する。

 

『私たちは毎日午後に』
釜山市の海沿いにある古里原発の第1号機で全電源喪失事故が起こる。それを隠蔽していた韓国政府。そこに東日本大震災による福島第一原発事故をオーバーラップさせる。とても他人事とは思えない原発事故が、もし起こったら。いきなり体が小さくなった彼。私たちの未来は。

 

『暗い夜に向かってゆらゆらと』
古里原発が事故を起こしたその後が描かれている。他の都市へ国へ避難する人、居続ける人。個人的に福島県浜通り地方の人と重なる。ぼくの叔母は一時期栃木県に避難した。節電で暗くなった夜の釜山市。ぼくは3.11後の渋谷の街を思いだす。釜山のシンボル、釜山タワーへメスのライオンと行く私。メスのライオンは何かのメタファーなのだろうか。

 

『愛する犬』
「犬になりたい」「犬を飼いたい」と言っていたクム。私はその後退社してカナダへ半年間語学留学。再び会ったのは1年後。公園で待ち合わせると犬を連れたクムが現れる。そして昔飼っていた愛犬ノディに「犬になりたい」と言うと「ようがす」と。で、クムとノディが入れ替わって20年余り暮していたと。マジックリアリズム味のあるユーモラスな作品。

 

『もう死んでいる十二人の女たちと』
十二人の女性を強姦殺害したキム・サニ。彼は交通事故で亡くなる。恨みはらさでおくものかと、女性たちは死んだキム・サニを報復の意味で殺す。すでに死んでいるのだが。村田 沙耶香の作品につながるような奇抜な発想が冴えるフェミニズム小説。


事故や事件の直接的な被害者ではなくても、その与えた心の傷や痛みは、ボディブローのように思いもかけないところから心身にじわじわとダメージを与える。時が解決するといわれるが、解決しないものも存外多いのではないだろうか。


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