『テーゲベックのきれいな香り 』山崎修平著を読む。詩人が書いた小説デビュー作。
詩人が書く小説と小説家が書く小説。その違いはなんだ。あくまでも個人的見解だが、一語や一文に対する思いの質や量が違う気がする。この作品は小説とも言えるが、とてつもなく長い散文詩とも言える。ストーリーはあるようでない。
ただ延々と記された言葉(特に固有名詞)により話があちこちに散らされる。自分自身の引用とリミックスーゴダールの映画のように。という表現しか持ち合わせていないので。
過去と未来、男性と女性、わたしと異なるわたし、平野啓一郎が唱える「分人」ってことか、東京の街と神戸・岡本にある祖母の家などなど。でも、それが魅力的なのだ。いい日本語の文体。するする読める。めっぽう面白い。
一応、7つの話から成っている。2つだけ取り上げると。
「愛犬パッシュ 2028.4」
ヴァージニア・ウルフの『フラッシュ ある犬の伝記』を想像させる。
「虎子、それはわたし 2013.4」
阪神タイガースファンかと思ったら、「虎屋の羊羹が好き」だから。
ここで短歌が披露されているが、短歌も達者で。
ちなみにその1:テーゲベック
ドイツの焼き菓子のことだそうだ。やっぱユーハイムの缶入りクッキーのことなのかな。ぼくが広告会社員時代、インタビュー記事広告に取り上げる著名人への手土産は同じカンカンのクッキーでも泉屋だった。
古くさい教養とおニューな教養がミクスチャーされている。浅野忠信(そう、俳優の)の装画がブラボー。
さて、次作がどんなものを書くのか、楽しみ、楽しみ。もう本作の手は使えないはず。いや、ぬけぬけと使ってくるかも。
ちなみにその2:わたしが住んでいる世田谷区・深沢
数十年前に近所に住んでいた。お屋敷町だが、まだ畑も林もあった。この地で虫を追いかけていた子どもが後年「昆虫すごいぜ!」のカマキリ先生。以下略。
小説のフレームワークから逸脱して書きたいように小説を書くことは進化、それとも復権なのだろうか。