ユーモラスな無頼派。しみるぅ!

 

木山さん、捷平さん (講談社文芸文庫)

木山さん、捷平さん (講談社文芸文庫)

  • 作者:岩阪 恵子
  • 発売日: 2012/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

『木山さん、捷平さん』岩阪 恵子著の昔、書いたレビュー。

 

評伝を書くために作者は資料を漁る。木山にゆかりのある土地を訪ねる。そうこうしているうちに、作者の中に木山という人間像が組み立てられていく。

 

木山は、文学好きの父親の血をひいてか、農家の後を継がず、作家の道を諦め進もうとするが、芽が出ず、一度は小学校の教師になる。どうしても諦めきれずに上京する。売れっ子作家とは無縁の人生を歩むが、次第に作品が評価され、知己も増え、所帯をもってどうにかこうにかの人生を歩む。淡々と自分の心情を吐露する詩人、私小説作家、文士となる。

 

第二次世界大戦、敗戦濃厚な日本じゃ息も詰まるし、好きな酒も飲めないというので、二度目の満州行きをする木山。痩せこけて栄養失調状態で満州から引き揚げるが、ともかく酒、ないときはアルコールまでに手を出して体内暖房とコレラ予防のため消毒にせっせとつとめていた。後先を考えない無鉄砲ぶり。臆病なのか、大胆なのか。

 

作者が敬愛してやまない作家・詩人の評伝だけに、あたたかな視線、今風にいうならリスペクトしており、その人となりや生き方がよく見えてくる。

知らなかったけど、木山は井伏鱒二のいわゆる荻窪グループの一員だったそうだ。井伏を対象に神林暁、小沼丹尾崎一雄(彼は荻窪グループではないが)など読んだことのある好きな作家が登場して、うれしくなる。あとはトンビ(インバニスコート)を一分の隙なく着こなしたダンディな太宰治もちらと登場する。

 

木山は詩と小説をこなす人で、晩年まで小説はその作風が井伏の亜流のように見なされていたそうだ。作者も書いているが、詩は、やはり山之口漠と共通しているものがある。詩も何篇か紹介しているが、ぼくはどちらかというと若い自分の詩作がモダンで青くて好みだ。

 

本文にユーモアの書ける・書けないは作者の資質、天分だというくだりが出て来る。誰か作者以外の人が木山を賛辞して使っているのだが。私小説作家=無頼派固定観念が定着しているが、木山はユーモラスな無頼派

 

太宰の「人間失格」のトラ(トラジティ:悲劇)とコメ(コメディ:喜劇)の分類合戦がふと頭をよぎった。しかし、戦前に二回芥川賞にノミネートされて落選したときの落胆振りはすごかったとか。でも、人前では「飄々」としている。こりゃかなりのやせ我慢の人だ。晩年の小説は、完全に独自の作風を完成したそうだ。付記しておく。

 

高田渡とか志ん生とか好きな人なら、リコメンドする。これで小難しい重たいアフォリスムをいうとエリック・ホッファーになる(ホンマカイナ?)。この本を読んで、 閉めていた日本文学の引き出しを久しぶりに開けさせられた。

 

最後に作者が別な本で紹介していた木山の詩を孫引きで紹介。しみるぅ!

 

「五十年」

「濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるような

どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな

そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた」

 


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