言葉尻ではなくて言葉の肝をとらえるためには

 

 

『いつもの言葉を哲学する』古田徹也著を読む。

 

哲学者が気になる最近の言葉や用法、表記などについてやさしくかみ砕いた本。
ただし用語解説ではなく、用語の考え方(概念)にふれているのでぼく的にはもやもやが晴れることが少なからずあった。何か所か引用。

 

「言葉は魔術や呪術」

 

「(古代ギリシャ時代)言葉は人の生活や思考の隅々に行き渡っており、陰に陽に甚大な影響を与えている。言葉を巧みに操れば、根拠の弱い主張を強くも見せることもできるし、同じ事柄を称賛することもできれば非難することもできる。自分を偉大に見せ、自分のしたいことに支持を集めることもできる。ソフィストたちは、ときに言葉を魔術や呪術になぞらえもした」

日本では言葉は言霊とも言うしね。ソフィストってなんか詭弁家という印象が強いんだけど、偏見かな。

 

「親ガチャ」

 

「「ガチャ」とは、「ガチャポン」のことだが、いまや「ガチャ」はスマホなどのソーシャルゲームに組み込まれたクジ引きを指す。「親ガチャ」という言葉は、子がどんな両親の下に生まれるかという運を表現しているようだ。たとえば「親ガチャに外れた」という表現は、自分が貧乏な家庭に生まれ育ったことや、親が虐待をする人間であったことなどを意味する」


そこには若者の自虐や諦観が込められていると。エビデンスはないが、確かに昔の方が自助でステップアップしていく可能性が高かったような気がする。ほら、東大へ受かった家庭は高収入とか。人生もオープンコースではなくセパレートコースなのかと。


「ケア」

「哲学者の早川正祐さんによれば、英語のcareという概念は、相手―それは人とは限らず、物や事である場合もある―のことが気にかかるという受動的なあり方と、相手のことを気にかけるという能動的なあり方、そして相手のことを大切に思うという献身的なかかわり方、その三つのあり方から構成されている」

そういうことだったんだ。これに相応しい日本語はないと。ゆえにケアという言葉が浸透していると。決して西洋かぶれ(死語)ではない。

 

「お母さん」

ファミリーマートのお惣菜のネーミング「お母さん食堂」が物議を呼んだのは記憶に新しい。

 

ジェンダーバイアス(社会的な性役割についての固定観念)をめぐる問題に関しては、「お母さん」という言葉以外に、「母」というこの一語自体が社会で含みもってきた特定の意味合いも無視できない」「たとえば、「母語」、「母国」、「母校」」「「おかあさんといっしょ」というNHKのテレビ番組」


それは単なる言葉の置き換えでは問題は解消しないと。「お父さん食堂」っておいしくなさそうだし。

 

「ある個別の言葉に対して、ある人々の間に違和感が生まれてきたときに、自分もその言葉に対してあらためて注意を向けて見直すこと。そして、その言葉に関連する現実(生活のかたち、社会のあり方)をさまざまな角度から見直すこと」

が大事だと。

あ、「処女」って言葉もNGらしい。「処女作」、「処女航海」、「処女峰」とか。
差別用語も同じ気がする。


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