もういいかい、まあだかい

 

『百間、まだ死なざるや-内田百間伝-』山本一生著を読む。

 

内田百間(通常は百閒なのだが、間にしているのは作者の意図か)と言うと、岡山の造り酒屋に生まれ、酒豪で健啖家、怖い話とユーモラスな話の名人、漱石ラブ、偏屈だが学生たちには敬愛されていた大学教授。戦後、3畳間が3部屋の自宅を建てた。それと大の猫好き。そんな印象。


いちばん最初に読んだのは旺文社文庫版『阿房列車』シリーズだろうか。ヒマラヤ山系との旅行記。『御馳走帖』『ノラや』。『サラサーテの盤』は、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』の原作。

 

評伝はまだ読んでなかった。すると、この大著が目についた。序章の「ロッパ日記から百間日記へ」でひかれた。ロッパ日記もいずれ図書館で借りて読もうと思っているのだが、百間の小説が映画化されることになり、ロッパが演じると。当時絶世の人気のロッパ。声帯模写の名付け親で、自分をどう演じるのか。会いたいことはないが、自分そっくりな人間だったらどうしよう。自分以上に自分に似ていたら困る。ああ、このひねくれ具合。結局、百間とロッパの対面は実現しなかった。残念。

 

てな具合で、いわゆるつかみはOK状態で本編へと進む。

 

百間の母親は捨て子で育ての親により内田家の跡取り娘となった。婿養子で入った父親。百間が生まれた頃は家業も羽振りが良く、父親は毎日飲み歩き、外に女性をつくる。しかし、百閒が旧制中学入学あたりから芳しくなくなる。破産、父親は亡くなる。

 

若いうちから書くものが認められていた、百間。投稿した作品は高い評価を得ていた。
彼には好きな女性がいた。銀行家、名家の娘・友人の妹だった。漱石とは関西での講演ではじめて会った。東京帝大に入学後、彼はついに求婚に出る。いろいろ難関はあったが、二人は結婚する。

 

百間は大学院に進む。家計は互いの家からの仕送りでなんとかやりくりしていた。

漱石の死後、漱石全集の編集の一人として参加する。問題は、金だ。岡山の祖母の財産もすっからかんとなる。芥川龍之介の紹介で横須賀の海軍機関学校でドイツ語を教えることになる。法政大学の教授にもなる。しかし、金がない。

 

百間は1万円を借りるのに往復タクシーで5千円使うような質だったから。知り合いから借りる。返済のために違う知り合いから借りる。でも、足りない。ついには高利貸しから借りるようになる。借金が苦にならないタイプだったのかも。

 

初恋を貫いた夫婦の間もギクシャクし出す。やがて百閒は違う女性と暮らすようになる。暮しぶりは相変わらず。借金で学生たちに鰻を馳走するようなことをしている。
豪放といえばそうなのだが。高利貸しが学校にまで催促に来るようになって職を辞する。法政大学は後に復職するのだが。乗り物好きの百間。航空研究会長として飛行機にも乗っている。

 

戦時下、住まいが空襲に遭う。酒も米もない日々。戦後の混乱期。ようやく作品が売れるようになる。随筆が評判となる。借金で首が回らない日々を書いて印税で回収する。
ベストセラー作家となっても、借金返済で消えていったとは。

 

百間の還暦を祝って教え子たちが設立したのが「摩阿陀会(まあだかい)」。黒澤明の映画のタイトルにもなった。

 

末期の水がストローで吸ったシャンパンとは。破天荒な生涯。コンプライアンスとかなかった良い時代。

 

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