- 作者: 吉川浩満
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2014/10/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『理不尽な進化』吉川浩満著を読む。
進化と聞くと、ぼくたちは過剰なまでに良いイメージを抱いてしまう。
本業の仕事でも、とりわけ企業スローガンや会社案内などに
進化は、欠かせない単語となっている。
文明や文化を進化させ続けてきた人間の叡智とか。
業種・業態を問わず、進化、進化の大安売り状態。
作者は、構築された進化イメージに対して否!を突きつける。
ここが、ユニーク。なるほどと高速で読み進む。
ドーキンスも述べているように、
ほとんどの生物は絶滅した。
それらだって受け継がれたきた遺伝子を後世に伝えようとしてきた。
進化には予想外の理不尽さが、つきまとうと。
クリスチャンなら、神の御業とか天の配剤などに当たるものだろうか。
なぜ人間はいまのところ、生き延びているのか。
それは進化じゃなくて「運」だと。
なのに、万物の霊長とか勘違いしている。
戦争も掠奪も犯罪も減らないし。
って、あんまり関係ないか。
作者の論考の引用。
「99.9%の生物は― 一部略―遺伝子にも運にも還元できない理不尽な
ゲームのもとで絶滅し、あるいは生き延びて進化してきたのである。
そう考えると、現在見られる生物の世界は、予想外の事件や事故、そして
僥倖によって成ったものらしい」
この「僥倖」をつい忘れがち、特に権力者。
ダーウィンの進化論には、「適者生存」や「自然淘汰」が、
枕詞でついてくる。
「いいものだけが残る」「生存者が勝者」と、
どうも現代人は単純に二項対立で判断したがる。
作者の論考の引用。
「生き延びるのはあくまでも適者(適応した者)であり、必ずしも強者(強い者)や優者(優れた者)ではない、というものだ」
作者が引用した大澤真幸の
「人間としてなのか、生命としてなのか」
には、はっとした。
人文主義と近代科学の相関。
本来進化論は、人間とて種、生命として扱っている。
なのに、自分の都合で人間と生命を使い分けているような気がする。
違和感なく。一種のダブルスタンダードと言うような。