問題解決の心理学―人間の時代への発想 (中公新書 (757))
- 作者: 安西祐一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1985/03
- メディア: 新書
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『問題解決の心理学』安西祐一郎著の感想メモ。
「「知識」ということばには、大きく分けて二つの使い方がある。
幼なじみだったオーストリア生まれの科学哲学者ポパーと
動物行動学者のローレンツが言っていることが、ちょうど、この二つの
使い方に対応しているので、彼らの考え方を引いてみよう」
「ポパーによれば、「人間によって産出された知識は、ミツバチによって産出された蜜と類似的なものだと考えることができる」という。あるミツバチがつくりだした蜜がほかのミツバチにとっても蜜であるのと同じように、ある人間が創り出した知識はほかの人間にとっても知識だというのだ。」
「ローレンツの方は、『自然界と人間の運命』の中で、「世界についてわれわれが知っていることのすべては、われわれの主観的経験を通して知識となったものである」と書いている。つまり、ポパーに比べて、知識が創り出されてゆく経験的なプロセスの力を重視しているわけだ」
んで、作者は、ローレンツの「知識の使い方」の方を支持している。
結果ではなく−もちろん良い結果にケチをつける気はないが−
過程、プロセスだと。
さらに、
「主観的経験を通して知識となる」こととは、「知識の構造化可能性」である
と。
「私たちの知識は、断片的な事実の集まりではなくて、何らかの構造を持っている」
作者によれば、それは極めて柔構造であり、
「自分の問題解決に都合のよいように構造化」できると。
知識の修得には、経験と学習がある。
面白いもので学生の頃は、当然だが、学習、成績の良いものが優秀とみなされるが、社会人になると、現場主義とでもいうのか経験のあるもの、ほら修羅場をくぐったとかそういう経験をしたものがよしとみなされるが、これは各人各様。
「知識の構造化」って仕事(キャリアまたは経験)の引き出しといっていいだろう。あ、でもそれは当然万能ってわけじゃなく都度修正しなければならないが。
てなことをつらつらと読みながら考えた。