『ステレオタイプの科学――「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』クロード・スティール著, 藤原朝子訳,日本語版序文 北村英哉 (その他) を読む。
「ステレオタイプ」という言葉は聞いたことがある。意味もうすらぼんやりとは知っていた。「ステレオタイプ」について日本語版序文で北村英哉はこう述べている。
「たとえば社会全体にある「女性はリーダーシップ力が欠ける」というイメージはステレオタイプ。このイメージをもとに女性のリーダーや上司に不満を感じやすくなるのが偏見。差別は「だから登用しない」といったように、個々人の能力の査定に基づくのではなく、女性だからというステレオタイプで実質的な被害を他者に与えてしまうことである」
「ステレオタイプ」を換言するなら「無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)」だと。子育ては女性がするものなどなど世の中は「ステレオタイプ」なのに、真実や原則、常識、社会通念でまかり通っていることの多いこと。
この本ではさまざまな事例や実験などにより「ステレオタイプ」のつくられるシステムを「科学的に」考察している。そしていかに「ステレオタイプ」に陥らないかが困難であるかを述べている。
「へえ~」と思ったのが、数学者フィリップ・アーリ・トライズマンの検証。
カリフォルニア大学バークレー校一年生で黒人学生の成績が悪かった。
なぜ悪かったのかを白人学生、アジア系学生との履修スタイルを観察した。
「アジア系学生は大学でもプライベートでもグループで勉強することが多い」「白人学生は一人で勉強することが多かったが、友達や教員助手に気軽に助けを求めた。教室の外でも情報交換をした」「黒人学生は一人ぼっちで白人やアジア系学生よりも長時間勉強していた。不明点を教えてもらえる友人などはいないので、テストの点数は彼らよりも悪かった」
平たく言うなら遺伝より環境ということだろう。なのに「黒人学生は勉強ができない」という「ステレオタイプ脅威」に自らはまっていく。似た経験をしたことがある人も多いだろう。
ここも「へえ~」と思った。
「人は独立した選択をできるが、社会に一定の居場所があるという考え方もある。とりわけ、社会科学の分野では有力な考え方だ。すなわち、人間の生活は社会的、経済的、文化的構造の中に存在するのであり、社会を構成する人間関係のネットワークの中にある。したがってケンタッキー州東部のアパラチア山脈近くに住む低所得家庭に生まれるのと、シカゴ北部郊外の高所得家庭に生まれるのとでは、社会でのチャンス構造が異なる。場所が異なると、手に入るリソースが異なってくるし、スキル、知識、機会、そして人生のチャンスといった「社会資本」へのアクセスも異なってくる。社会階級や人種、宗教といった特徴に基づき集団化または分離されると、手に入るリソースや社会関係資本が影響を受ける」
これは地方に住む若者とと都会に住む若者にもあてはまる。
「すべてのネットワークが平等に作られているわけではない」
「ステレオタイプ脅威は一般的な特徴だ。いつでも、だれにでも起きうる。自分のアイデンティティに関するネガティブなステレオタイプは、自分の周囲の空気に漂っている。そのような状況では、自分がそれに基づき評価されたり、扱われたりする可能性がある。特に自分が大いに努力した分野では、脅威は大きくなる」
snsの発達も「ステレオタイプ」や「ステレオタイプ脅威」の拡大・増強の一因となっている。