働く

世間は昨日(1月9日)から稼働したようで、夕方淡路町の打ち合わせから戻ると、
原稿修正の電話とメールが来ており、正月気分も完全に抜けてしまった。


ちょっと前の内田センセイのブログのエントリー、
「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読むに対して
そうそう、そういうことをいいたかったんだ、オレは。ってことで、
改めてリスペクトしちゃった、単純なもので。こんなあたり。

「私たちの労働意欲を担保するのは必ずしも「未来が保障されている」ではない。
「未来が未知だから」こそ働く意欲がわくという若者もいつの時代にもいる。」

賛同するのは、ぼくが、オッサンだからなのだろう。

個人的な話になるけど、ぼくは最初の会社に2年、次が3年、その次が3年半在社して、
フリーになった。かつてはぼくも3年で辞める(病めるって変換するな)若者だった。
なぜほぼ3年で辞めたんだろう。


最初の1年は新しい仕事を懸命に覚える。
次の年は覚えたことに対して自分なりの工夫をしたり、実験したりする。
3年目は、それも飽きてきて、よくいえば仕上げの時期なんだけど、
その会社の先がなんとなく見えてくる。
昼飯食いに行く店や飲みに行く店も固定化して、なんとなく新鮮味が薄れていく、
一種の第一次倦怠期を迎える夫婦のようなものだ。3年目の浮気とかいうじゃない。
そこそこ大きな会社なら配置転換の希望もあるだろう。
3番目の会社は一応広告代理店だったので、契約更改の席で配置転換を希望した。
でも、結局は聞き入れてもらえず、一身上の都合で円満退社することになった。


ほぼ3年で転社はしたけど、転職はしていない。バカの一つ覚えで、いまに至っている。
話は戻るが、最初の会社では、流通の仕事だったのでファッション、食品、インテリアなどを
ヤワラカい仕事をした。次の会社では、企画書書きやら、会社案内、機械などカタい仕事をして、
その次の会社ではキャンペーンの仕組みや広告・販促の全体の流れを知ることができた。
別にそんな目的意識が最初からあったわけじゃなくて、結果的にそうなっただけなんだけど。


芸は教わるんじゃなくて盗むもの。ともかくその会社のナレッジというのか、人的財産というのか、
そういうものを見て参考にした。でも、そのナレッジやスキルは、いいと思われたものは、
回りまわって適宜改良されて受け継がれていく。
いい仕事をする人よりも出張費の仮払い精算を所定の期日内にする人の方が、
登用されるようになったのはいつ頃からなのだろう。


2007年を斬る:「働く」って何だっけ? 世界に誇るべき日本人の労働観、その誇りと自信を取り戻せ
田坂広志のインタビューも同意させられたので、一部引用。

「誤解を恐れずに言うと、「プロフェッショナリズム」の復活ということを、
きちっとやらなければならないと思います。欧米的な労働観の間違った解釈としての
プロフェッショナリズムではないですよ。
自分の商品価値を上げるために腕を磨くというのは
間違ったプロフェッショナリズムの考え方です。 」

「日本には職人魂とか商人魂というのがちゃんとあって、
近江商人の心得「売り手よし、買い手よし、世間よし、三方よし」とか、
住友家訓の「浮利を追わず」とか、お客様の笑顔を見るために努力するとか、
すごいプロフェッショナリズムがあった。
これを復活させることを同時にやらないと、非常に危うい状態に向かってしまう。 」


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