カールおじさん

なかなか手をつけられなかった『自我と脳[上]』カール・ポパー、ジョン・エクルズを
読み出す。古くさいかなあ、難しいかなあと思ったら、さにあらず。
上巻はポパーが書き、下巻は大脳生理学者のエクルズの論考と対談という構成。


獲得形質は遺伝しないというダーウィニズムへの反証の一部引用。

「有機的進化論の出発点は、あらゆる有機体、特に高等生物は多かれ少なかれ自ら自由に
行動するさまざまのレパートリーをもっているという事実である。新しい行動形態をとることで、
個体はその環境を変化させることができる。−略−動物は試行錯誤の結果、新種の植物への好み
を意識的に選び出せる。こりことは環境の新しい局面が、新しい生物学的(生態学的)重要性を
担う範囲までその環境を変えることを意味している」

この世界に新しいものは何もない。一部引用。

「この世界に新しいものは何もないという見解は、《進化》(evolution)という語の元来の
意味にある点では含まれている。進化する(evoluve)とは、巻いたものを開く(unroll)ことを
意味している。そして、進化はもともと、既に、そこにあったものの展開を意味していた。
だから、そこにあらかじめ作られて(preformed)いるものは、はっきり現わされることになる。
(同様に、生長する(develop)ことも、そこにあるものを明らかにすることを意味している。)
この元来の意味は少なくともダーウィン以来すたれてしまったと言える。もっとも、未だに
いく人かの唯物論者や物理主義者の世界観の中でその役割を果たしてはいるようである」

なかなか含蓄のある記述ではないだろうか。
かつて棟方志功が版画を彫るとき、「版木に仏様の顔が浮かんでくるから、
ただそれを彫っているだけだという名言を思い出した。
だから下書きなどは一切せずに夢中に彫るだけ。

「進化の過程において生まれる創発性」について。

「《創造的》ないし《創発的》進化という考えはいくぶん曖昧ではあっても、非常に単純である。
それは想像できない、真に予測不可能な性質をもった新しい対象や事象が進化の過程で生じる、
という事実に言及しているのである。対象や事象のこの新しさは、偉大な芸術作品が新しいと
言われるのとほとんど同じ意味である」

こりゃ複雑系でおなじみの創発性の知、ええと個々の自発性が全体の秩序を生み出すってことの
さきがけなのかしらん。検討違い?読み進まねば。


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