良い酔い宵

 

たぶん、「山本昌代」と言うよりも、「『居酒屋ゆうれい』の作者」と言う方が、通りは良いだろう。作者の書くものには、時代劇ものと現代ものの2方向があるが、なぜかぼくは、もっぱら現代ものの方を愛読している。


本書は『ウィスキーボンボン』『ワイングラス』『月の雫』の3篇から成る連作集。3タイトルとも、アルコールに関連するものだが、読了後に、なるほど上手なタイトルだと感心してしまった。

 

子どもの頃は、可愛らしく小柄で『お稚児さん』と呼ばれていた若者が主人公。このあだ名でピンと来る人には、ネタばれかもしれないが。姉は、高校卒業後、美容師学校へ行き、美容師になる。勤務先の美容院の男と同棲をはじめたり、その男と別れて、また別な美容師とつきあいはじめたり、ロンドンへ美容師の武者修業に行ったりと、まったくのマイペース。

 

主人公は、いわゆるいい子ちゃんタイプで、勉強もクラブ活動もそこそこ、こなして、高校・大学も志望校に入り、就職。会社の後輩の女性と結婚する。

 

妻の希望で、両親との同居生活をスタートさせる。しかし、しばらく経ってから、母親からやんわりと同居を拒否され、会社の上司の借りていたマンションに引っ越す。姉とその夫、姉の最初の同棲相手と主人公夫婦が意外な関係へと発展していく。とりたてて大げさな事件は起きないのだが、小さな事件が波紋となって次から次へと広がっていく。

 

作者はいつものように軽い筆致で、八分の力で書いている。描写は饒舌ではないのだが、よく伝わる。背景の描き込みはほとんどなく、余白だらけなのに、その余白が心地よい少女漫画を読んでいるような気分なのだ。おわかり願えるだろうか。なかなかこれが、できない。

 

都会で暮らしている、いまどきの共働きの若い夫婦―男女雇用機会均等法世代なのか、立場も役割もすべて対等・平等である―のごくごくありがちな物語なのだが、一気に読ませてしまう魅力がある。

 

作者の新作が読みたいと思うのは、ぼくだけではないはず。

 

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弊機 兵器 平気―へりくだる?へりくだらない?

 

 

『ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー』マーサ・ウェルズ著 中原尚哉訳を読む。


人型警備ユニットの弊機が活躍するマーダーボット・ダイアリーの2作目。
弊機はプリザーベーション連合評議会議長メンサ―博士から受けた恩義を返そうと
博士の娘アメナらの惑星調査チームの警備員として同行する。

 

弊機がいくところ、アクシデントあり。
惑星調査の復路で身元不明の調査船に襲われる。
弊機の方が人間よりも性能は優れているわけで、
盾となって損傷を負いながらも、チームのメンバーをガードする。
でも、犬のように、けなげではない。
内心、ぶつぶつ愚痴りながら。このへんが、たまらない。

 

映画『ダイ・ハード』のジョン・マクレーン警部補のようにタフガイぶりを発揮する。

愚痴るロボットってぱっと思いつくのは『スター・ウォーズ』のC-3POだけど。
かつて思わぬ殺人事件を起こしたが、それがトラウマになったのか。
その記憶は消去されたはずなのだが、かすかに記憶しているらしいのだ。

人間嫌いつーか人間不信。
こうなったのはオーバーホウルした際、弊機にバグが生じたのか、勝手に進化したのか。

 

身元不明の調査船って実はART(ASSHOLE RESEARCH TRANSPORT)ことペリヘリオン号だった。なぜ。ARTは弊機に対してツンデレだったが。実は…。

 

前作同様、弊機とARTのやりとりが絶妙。

 

ワームホールや異星文明遺跡、宇宙コロニー、縦横無尽未に飛び交うドローンなどが
SF味をより濃縮にしている。

さらに弊機の複製(マーダーボット2.0)が現われ、2機で対策を練ったり、
警備ユニット3号が登場しての派手なドンパチシーン。

 

本作も翻訳のうまさが随所に光る。
たとえば

「あとはシャットダウンして、面倒や苦痛はなにもかもスキップしたかったのですが、
そうは修理屋が許しませんでした」

とか。


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少年老い易く詩有りがたし

 

 

『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
斉藤倫著 高野文子画を読む。

 

いまや読む人よりも書く人のほうが多いといわれる詩。
俳句や短歌もそうか。

 

詩とか現代詩と聞くと難しい、わからないと遠慮されるようになったのは、
いつ頃からなのだろう。

 

この本は、子ども向けの詩の入門書なのだが、解説や註釈の類はなく、
作者と思われる「ぼく」と小学生の「きみ」との対話形式で進む。
「ぼく」がランダムに詩を取り上げて「きみ」と感想を話し合う。
詩についての素朴な疑問などにも答える。

 

1.ことばのじゆう 2.いみなくない? 3.こころの、あと 4.いみの、手まえで 5.くりかえし、くりかえし 6.オノマトペのよる 7.きせつは、めぐらないで 8.ことばなきもの 9.ほんとのこと? 10.そして、ほんとうのこと

 

という章立てごとに各詩が2篇。計20篇。そのバラツキが楽しい。
ぼくは11篇の詩の作者しか知らなかった。やっぱり新しい詩人はほとんど知らない。
でも、面白い。
あ、最果タヒとかは知っているけどね。ミーハーだから。

 

めざしを頭からまるごと食べるように読む。
まずはいろいろな詩を読んでみることだ。
表現の多彩さ、自由さを楽しむ。

 

最後の一文もあまりにも素敵なので引用する。つーか、詩じゃん。

 

「さあ、きょうは、どんな詩を読もうかな。
きみと、ぼくは。
えいえんに、ながい、もうすこしのあいだ。」

 

ランボーの詩のフレーズを彷彿とさせるが。

「少年老い易く学成り難し」をもじって
「少年老い易く詩有りがたし」。

これを結びの言葉に。

 

詩を久しぶりに読んでみたいが、どう読めば、何を読めばいい。
そんな大人にも、うってつけの一冊。

 

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猫 鼻炎 ぴえん

猫のグレコが 鼻をグズグズ 
くしゃみ くしゅんくしゅん
ちゅーるをあげたとき はなちょうちんがふくらんだ

 

わが家は猫まで花粉症なのか

 

仮住まいの最寄り駅にある駅前の動物病院に連れていく

ケージからキャリーバッグに移すのにひと苦労
自転車の前かごに乗せて

 

人(猫)いちばい 臆病なグレコ

鳴いたり シャーと威嚇したり

完全防護の獣医さんにエリザベスカラーをされたグレコ

女王さまみたい

 

まずは爪を切ってもらう
次に体重を計測 5.1kg!
予防注射も

 

女性の獣医さんはやさしく的確に指示をする
カリカリはぬるめのお湯でふやかして与えるようにとか
そのままだと消化するため胃酸が出過ぎて胃に負担を与えるとのこと

 

男性の獣医さんは声が大きく明瞭
小劇団の俳優のよう


猫ちぐらに潜って出てこない
薬をチュールにまぜて出したが、手つかず

 

カリカリをふやかしたのに混ぜたら
ぼくたちが寝ている間に完食していた

 

1週間後、経過報告と薬をもらいに動物病院へ
帰りに和菓子屋で柏餅と団子を買う
懐かしいおいしさ

 

かなり良くなったようだ
でも、7月はじめにはまた引越しだからね

 

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この短篇集はカレイド・スコープ。いろんな人生模様をのぞかせてくれる

 

 


『郊外のフェアリーテール キャサリンマンスフィールド短篇集』
キャサリンマンスフィールド著  西崎憲編訳を読む。

 

作者は自分が女性であることに対して優越感と劣等感を同時にかなり込み入って有している。ジェンダーギャップ、社会階層ギャップ、ミサンドリー(男性嫌悪または男性蔑視)などが根底にあるような。一時期流行った言葉で延べるなら、こじらせ女子系。元祖わきまえない女子系。

 

ヴァージニア・ウルフとは好敵手だったとか。当時の(いまでもか)作家=男性という強固な岩盤に、まずは先陣としてクサビを打ち込む。女性が奔放に生きるとなぜ非難されるのか。なぜ女性は家庭に入らなければならないのか。


フェミニズム文学と真面目に捉えるのもありだけど、ぼくは良い意味での繊細な少女漫画的世界や自在な創造力を愉しんだ。ある作品はチェーホフ的、ある作品はアリス・マンロー的、ある作品はマジックリアリズム的。ある作品はシャーリイ・ジャクスンのようなイヤミス的。あ、個人的感想。

 

何篇かのあらすじと感想を手短に。

 

『ガーデンパーティー
ローラの家では、ガーデンパーティーで盛り上がっていた。そこで出されたご馳走のおすそ分けを下の小さな家へ届けるよう命じられる。その家では主人が事故で亡くなり、葬儀の真っ最中。ローラは死者の元へ案内される。多感な少女のハートは、死への畏怖そして不幸と貧困と絶望に満ちた空気に過剰なまでに同調する。

 

『パール・ボタンはどんなふうにさらわれたか』
一人で遊んでいたパール・ボタンちゃんが二人の女性に誘拐される話。パール・ボタンに胴体と手足をつけたかわいらしい人形劇で見たい。


『見知らぬ人』
10カ月もの長い船旅を終えてようやく再会したハモンド夫婦。夫は、上等のホテルを予約した。当然、妻も喜ぶものと思っていたが、何やら心、ここにあらず。理由をたずねると妻は船上で病気の男性客を介抱していたが、彼女に見守られて息を引き取ったと。
夫にはなぜそこまで尽くしたのか。そしてなぜ悲しみを引きずっているのか。理解に苦しむ。10カ月会わなかったからなのか。それともそれまでの夫婦生活での蓄積されたものなのか。

 

『ミス・ブリル』
女優(?)であるミス・ブリルは、自慢の毛皮の襟巻を巻いて市民公園でバンド演奏を楽しむ。素敵な観客たち。彼女はボランティアで「病気の老紳士に新聞を読んでいた」。そこへ若いカップルがやって来て少年が少女に迫る。すると、少女は彼女がいるからダメだと。二人は自慢の襟巻を見て冷笑する。気落ちするミス・ブリル。そして襟巻は…。最後の一行が利いている。


『一杯のお茶』
ローズマリー・フェルはとりわけ美人ではない。しかし、富裕層のマイケルと結婚し、男児を産んだ。いわゆる有閑マダムでアンティークの蒐集に惜しみもなく金をつぎ込んでいた。雨の降る夕方、見知らぬ若い女性から声をかけられる。濡れネズミのような彼女はお茶をおごってくれと。ローズマリーは、捨て犬を拾うかの如く自宅に招く。スミスという若い女性の美しさに気づいたのは帰宅した夫だった。接待は打ち切り。3ポンドを渡して追い払う。同情から嫉妬へのすばやい転換。またまた最後の一行が利いている。

 

『人形の家』
大きくて精巧な人形の家を送られてきてバーネル家の子どもたちは大喜び。学校の友だちを招いて披露する。そこに招かれざる客が。洗濯女の娘、父親は刑務所暮しと噂のケルヴィー姉妹。姉妹はいつも貰い物の布などで母親が手縫いのド派手で珍妙ないでたち。姉妹を招き入れたら案の定、追い返された。こんなことは慣れっこの姉妹。叱責よりも人形の家の出来栄えの方に心を奪われる。これはドール・ハウスと原題のままでいいだろう。

 

『入江にて』
美しいクレッセント湾を持つ町の一日を描いた作品。そこに登場する人々の情景を描いている。ミセス・フェアフィールドは、二人の息子、三人の孫娘といつものようにあわただしい朝を迎える。磯遊びに興じるサミュエル家とトラウト家の子どもたち。海水浴を楽しむトラウト家の娘たち。リンダ・バーネルのそばで朝、眠っている坊や。リンダの赤ん坊が突然、「マム、あたちのこと、好きじゃないでちゅね」と話す。あっさりと肯定する彼女。スタンリーのために結婚したのであって子どもをつくるためではない。孫娘キザイアに「死なないで」と懇願されるミセス・フェアフィールド。自然の描写が素晴らしい。ウルフも素晴らしいのだが。入江の一日が人の一生にも思えてくる。


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時の過ぎ行くままに



 

 

 

『妻の部屋 遺作十二篇』古山高麗雄著を読む


四十歳を過ぎたあたりからだろうか。結婚式よりも、葬式に出る方が多くなったのは。今は年賀状だけのやり取りだけになってしまった学生時代の友人や昔の会社の上司や同僚から喪中欠礼が届くなんて、つい先だってまで考えたこともなかった。

 

大学生の時分、心理学の教授から戦前の青春を聞かされてなんだか羨ましいと思ったことがある。カフェの可愛い女給に入りびたったり、クラシック音楽アメリカ映画にうつつを抜かしたり、玉の井の女性とねんごろになったり。大学も駅弁大学(by大宅壮一)と呼ばれる今より、数はずっと少なくて、当然、大学出の学士様は多少なりとも幅を利かせていた。

 

本作には、若かりし戦前の青春時代のこと、友人のこと、戦争のこと、妻の病気のこと、夫婦の歴史、そして妻に先立たれた自分のことなどが、クールな筆致で書かれている。ウエットでもないし、枯れてもいない、現役の作家の良い文体である。どことなくモダンボーイの影が感じられる。

 

作者の予備校時代からの旧友である安岡章太郎は、作者とその友人たちを「悪い仲間」と称して小説の題材にした。作者は外地である北朝鮮の開業医の子として生まれ、いわゆるボンボン育ちだった。やがて徴兵され、戦場で生死の境をさ迷い、捕虜になり、戦後帰って来るが、家は没落。知り合いの紹介で未亡人だった女性とお互い好きでもないのに結婚する。

 

それから駒込の「ウサギ小屋」で糊口をしのぐ暮しが続く。お嬢様育ちの「妻」にとってそれは辛いものだったものに違いなかったと述懐している。作者が第一作目の小説を発表したのが49歳。第二作目で芥川賞を受賞する。ようやく筆一本で食えるようになったのは、それ以降だという。それから中央林間に新居を建て、「ブタ小屋」と呼び、作者は青山のマンションを仕事場にして、週末に帰るという別居婚スタイルを妻が死去するまで続けていた。

 

作者は妻の死後、持ち物を整理していると、日記を発見する。そこには作者に対するそれこそ積年の恨みつらみ、不平不満が書き綴られていた。妻は面と向かって文句は言わなかったとか。しかし、妻が生前、書き認めておいた遺書には、夫への感謝の気持ちが記されていた。知己だった江藤淳のように臆面もなく妻のことは書けないと、そんなニュアンスで述べているが、言葉にしなくても、十分に伝わってくる。

 

癌の術後ある程度予測していたとはいえ突然、電話をかけて不調を訴え、それが最後の声となってしまった妻。作者が駆けつけた時は、まだ温かかったが。相性も良くなく、趣味も違うが、一つ屋根の下で暮らした50年。

 

戦後、生きることは、作者にとって余生だったようだ。しかし、余生とはいっても、戦争に対する理不尽さや大きな歴史のうねりの中に翻弄されるしかない人間の弱さ、脆さを終生のテーマに、戦争への記憶や傷みが薄れる時代に逆らうように、文字で訴え続けてきた。

 

同じ捕虜体験が書くという行為の大きな動機となった大岡昇平なら、会社勤めをしても、万事率なくこなし、定年までには重役になるかもしれないと思うのに対して、作者は、世渡り下手という印象を勝手に抱いてしまうのは、私小説風スタイルの作品のせいなのだろうか。どちらがどうこうというわけではないのだが。

 

本作最後のエッセイ「孤独死」には作者自身の死への思いが、実にさっぱりと語られている。達観してるともいえるだろう。はからずも作者の末期は、そうなってしまったが。

 

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『スイミングプール』を見る。シャーロット・ランプリングを見る

 

 

スイミング・プール』を見る。フランソワ・オゾン監督。才能、あるなあ。


シャーロット・ランプリング演じるイギリスの売れっ子ミステリー作家とニンフォマニアの若い娘(出版エージェント?出版社?の社長の娘)がフランスの出版社の社長の別荘を舞台に話は展開される。

 

昔、バリ島に行ったとき、宿泊していたホテルのプールに白人の女性が二人でいた。
当然母子かと思ったら、仲良くなった現地のボーイが、プールサイドにビールを持ってきてくれて去り際に「レズビアン」と囁いたことを思い出す。

 

感想などは、いろんな人がブログでエントリーしているんで、
シャーロット・ランプリングのファッションについて。

 

冒頭シーンでロンドンの地下鉄にトレンチコート姿で登場するのだが、
そのスタイルの決まっていること。カフェでスコッチウイスキーをシングルで頼む。こりゃまたカッコいい。

 

別荘での執筆。老眼鏡をかけて、たぶんストーリーのネタ帳を開いて、持参したノートパソコンに打ち込む。モバイル用のプリンター(形状からしてcannonか)に出力して推敲を重ねる。執筆時間と執筆環境を妨げられるのは当然好まない。

 

晴れた日には、くわえタバコでテラスで執筆。

 

小娘が作品のネタに成り得ると判断するや、さりげなく生い立ちなどを聞き出し、
挙句の果てにメモノートを見つけて、自作に引用してしまう作家の業を違和感なく演じられる知性。

 

南仏の風景の中をモペッド(小型バイク)で走るシーン。

 

問題となっているエンディングも、なかなかお見事。
現実がミステリーなのか、ミステリーが現実なのか。
絵空事と非-絵空事がミクスチュアされる。粋っすねえ。

 

うーん、なんて魅力的。どのカットもアパレルのTVCMのワンシーンのよう。

オゾン監督は現代の婦人科映画監督だ。


8人の女たち』『まぼろし』は見た。残りの作品もサブスクかレンタルで。

 

説明しよう。かつて女優などきれいな人をきれいに撮影するカメラマンを婦人科カメラマンと称していた。→秋山庄太郎大竹省二など。

 

 

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