オイモは、小学校3年生のモモヨちゃんの家で飼っている犬の名前

 

 


『オイモはときどきいなくなる』    田中哲弥著 加藤久仁生画を読む。

 

オイモは、小学校3年生のモモヨちゃんの家で飼っている犬の名前。
変な名前だが、子犬のとき、体の色がじゃがいもに似ているので

オイモと名づけられた。

 

オイモは外に遊びに行く。いつもは帰って来るのに、
その日は帰って来なかった。
でも、家族は気にしていない様子。モモヨだけが心配になって探しに行く。

 

河童の池を通ると、田植え前の水を満々と貯めた水田が広がる。

オイモのどこが好きか、食いしん坊でドジなところ。


あぜ道を歩いていたらレオンさんに出会った。
レオンさんはおばあさんだが、素敵な雰囲気。

 

オイモは、レオンさんの屋敷にいた。
洋館とお寺を折衷したような変わった家。
レオンさんは、オイモをジョンと呼ぶ。

 

世渡り上手な外猫は
朝ごはん、昼ごはん、おやつ、晩ごはんをもらう家で
さまざまな呼び名がついているが。

 

梅雨時、レオンさんの家を訪ねたモモヨ。
返事がない。留守かな。探検気分で長靴でお散歩。

気がつくと見知らぬ庭園に。
そこにはオイモとなぜか女子高校生なったレオンさんが。

 

元気いっぱいだったオイモも、加齢のせいか、食欲もなくなってきた。
あの食い意地のはったオイモが。

 

ペットが来た日、ペットと暮らした日々そしてペットを亡くした日を思い出す。

 

日本の原風景を描いた郷愁を感じさせるメルヘン。
そうなんだけど、生と死、リアリズムとシュールレアリズムが入り組んだ不思議な物語。

 

レオンさんは実はこの世に存在しないとか。

 

作者は寸止めというのか、最後は読み手の想像力に委ねたのかもしれない。

 

加藤久仁生の淡い水彩画タッチの挿画がふんだんに入っていてうれしい。
加藤のアニメーション『つみきのいえ』に魅せられたぼくとしては
このキャラクターでアニメーション化された本作を見てみたい。


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「人はなぜ学ぶのか。それは知恵を身につけるため」

 

 

『学問の発見-数学者が語る「考えること・学ぶこと」-』広中平祐著を読む。

 

特異点解消の定理でフィールズ賞を受賞した世界的な数学者の自伝。読み出したら楽しくてあっという間に読んでしまった。爽快というか痛快というかそんな読後感。

 

生家は戦前、織物問屋で工場も経営、大地主でもあった。商売が繁盛して大店のお坊ちゃまとして育った作者。戦後、家業は不振。農地も農地解放により手放す。
父親はプライドにこだわらず自ら商いに精を出す。実学を重んじる徹底したリアリスト。一方、母親は「成績は良くなくても」悪行をしなければいいというおおらかな性格だったそうだ。ふと、大河ドラマで見た澁澤栄一の両親と印象が重なった。

 

柳井高校から京都大学・大学院に進学、あるいは留学先のハーバード大学での先生や友人との出会いが、いかにいろんなケミストリー(化学反応)を起こしたか。

「数学というのは、最終的には論理的にやらなきゃいかんから、問題をどんどん制限していって、定式化して、やっと証明できるんですよ。だけど数学にしても出発点は人間が考えるわけだから、その背景には絶えず曖昧模糊したものがあるから、フィロソフィ(哲学)ですね」


これは梅原猛との対談の一部を引用したものだが、その第一歩が高校時代の友人との哲学などの語らいから生まれた。クラシック音楽にも惹かれてピアノを弾くことにも夢中になった。

 

父親は大学は受験勉強などしなくても入試に合格する本当に優秀な人間がいくものだと考えていた。作者は隠れて勉強をして、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹のいる京都大学理学部を受験、合格する。将来は物理学か、数学か。で、数学への道を選ぶ。

 

京大院生時代、岡潔の講義を受けるが、その内容が数学というよりは宗教のような印象が強くて中座した。恩師のすすめでハーバード大学へ留学。特異点解消の論文でトライ&エラーで苦心しているとき、一時帰国、その際、岡からの宗教めいた助言が、ブレイクスルーにつながったというエピソードが興味深かった。

 

日本とアメリカの教育の違いを述べている。

「日本の教育と米国の教育を比較すると、―略―平均性、一律性を重視する日本の教育に対して、米国は多様性を重んずるところがある」

 

一例として

「(米国では)地域によって教育が異なるのは当然といった地域を重視する考え方」。

 

さらに

「米国の学校教育が重視する多様性のもう一つの側面は、生徒の個性をできるだけ伸ばそうとする性向である」

 

「一人ひとり異なった個性を尊重する」

教育だと。どちらが良いかは断言していないが、

「まったく新しいことを創始する人間が米国から数多く輩出するのは、この国独特のそうした教育ではないか」


米国暮しでそう実感するようになったと述べている。

 

人間の頭脳とコンピュータ、AIなどの違いについて。これも、なるほどと感じ入った。

「人間の頭脳には、ものを忘れるという特有の能力がある。正確ないい方をするならば、コンピュータが記憶していることを自由自在に百パーセント取り出すことができるのに対して、人間の脳は、記憶したことをほんのわずかしか取り出すことができない」「人間の脳のみが有する「ゆとり」だと思う。この「ゆとり」が、実は知恵というものをつくる要素の一つなのだ」

「人間の頭脳は、不連続のものから連続したものを導き出す寛容性をもっている、と私はいった。いいかえれば、実は飛躍であることを飛躍でないととらえられるのが、人間の脳である。だから、人間は飛躍ができる、コンピュータやロボットにはそれができない」

 

「人はなぜ学ぶのか。それは知恵を身につけるためだ」

と。

ぼくなんかよりも若い人、いまの中高生に読んでもらいたい、マジで。

 

参考 特異点解消の定理についてもやさしく解説(?)

gendai.ismedia.jp


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スモール・タウン・トーク―脈絡がないと思われる断片断片が、合体して物語になる

 

 

『ゆみに町ガイドブック』西崎憲著を読む。


ゆみに町に住む小説家・翻訳家の「わたし」(女性)。
何やらコンピュータ・プログラミングでゆみに町に関係している「雲マニア」。
クリストファー・ロビンを探す、なぜか「片耳のプーさん」。
彼ら(彼女ら)の話が重層的に展開する。

 

浦安方面にある王国となぜか似た名前の「デステニィーランド」。
それは、「わたし」の脳内にある町。そしてゆみに町の影の町でもある。

 

中心のような周縁 周縁のような中心。
彼岸と此岸。旧市内と新市街。
過去 現在 未来が 混在するような町。
この風景は本物なのか 偽物なのか。
出てくる人物は生きているのか 生きていないのか。
リアルなのか 虚構なのか。
たぶん すべてが 真実。

 

母の3回忌で法要が済んで中学生の頃に住んでいた町のレストランに行った。
通っていなかった道路ができて、大型のショッピングセンターができていた。
住んでいた借家はマンションになっていて景色は一変していた。

驚きはするが失望はしなかった。
だって、脳内には町も借家も変わらない
あの頃の風景を投影してくれるから。


ゆみに町に起きた異変。
形而上と形而下、両面で。
感じる人もいればまったく感じない人もいる。
感じない人は住民が異星人に乗り移られても気づきはしない。
最後に ズームアウトしていくと
ジョルジョ・デ・キリコの絵のような、ゆみに町の光景が。
脈絡がないと思われる断片断片が、合体して物語になる。

 

この本を読んでまったく何も感じなければ
あなたは異星人の寄生体になっているかもしれない。

 

以前書いたレビューを加筆、修正。

 

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抜けられます―「あやかしの裏通り」にご用心

 

 

アラン・ツイスト博士シリーズの次は、名探偵オーウェン・バーンズシリーズへ。
まずは、『あやかしの裏通り』ポール・アルテ著 平岡敦訳を読む。

 

オーウェン・バーンズは、美術評論家でアマチュア探偵。助手的役割のアキレスが事件の顛末を語るスタイル。

 

舞台は20世紀初頭のロンドン。名物の霧が立ち込めると、裏通りが現れる。霧が晴れると同時に裏通りは消滅してしまう。クラーケンストリート。別名「あやかしの裏通り」。運悪く、その通りに足を運んだ者は、行方不明者となる。都市伝説の一種かと
思えるのだが。ところが、オーウェンの友人でアメリカの外交官ラルフがその通りに入って命からがら逃げ出した。


なぜ偶然、通りに走ったのか、ラルフが逃亡犯ジャック・ダドクリフに極似していて警察に追われていたから。身分を証明するものは投宿先のホテルに置いてきた。しかも彼は殺人と思しき光景を目撃したと。再び戻ろうとすると路地は消えていた。それを聞いたオーウェンらは、捜査にかかる。

 

「あやかしの裏通り」での犠牲者は4人。2人は生死不明、1人は通りを調べている最中に亡くなる。もう1人は精神に異常をきたす。裏通りを歩く探偵と助手。オーウェンの友人で地図をつくっている店で、通りについて書かれた冊子を入手する。

 

「この路地は時間と空間を自由に行き来できる」「過去を読み取り、未来を予言できる」と書かれてあった。タイムマシーンのような路地。

 

ラルフが見かけた男は美女といた。その捜査中に国会議員のハーバード・ジャンセン卿の自殺を号外で知る。探偵は男がリチャード・エヴァ―トン男爵であると確信し、オーウェンたちは汽車で男爵の館へ。ラルフが裏通りで男爵らしき人を見かけたことを伝えるが、男爵は否定する。男爵夫人の美貌にくらっとくるオーウェン

 

宿屋の亭主から過去の男爵の事件を聞き出す。かつてダンサーだったロマと思われるエキゾチックな風貌のゾエにぞっこんだった男爵。ところが彼女は違う男と付き合うようになる。嫉妬にかられた男爵。激しいケンカ。男爵はナイフで刺される。首を絞められ絶命寸前のゾエ。結局、ゾエは村を出て、男爵は村の名家の令嬢のヒーサーを妻に迎えた。

 

美貌のエヴァ―トン男爵夫人の正体、作者のこれまでのパターンならこうだと予測したら、あら、ぴたり。ファンならお約束と拍車喝采ってとこ。

 

路地が主役とは。最後にオーウェンが解き明かす消えた通りのネタ明かしがやや強引で大仰すぎるかもしれないが、ここまで構築した力技に感服する。

 

探偵オーウェンと助手アキレスのやりとりは、どうしてもホームズとワトソンと印象が重なる。オマージュつーか、狙いなのかもしれないが。

 

表紙の絵がなんだか素人クサいと思ったら、著者自らが日本語版用に描いたものとは。

 

都会のうらぶれた路地、千鳥足でふらふら歩いている、実はそこがタイム・ワープ・ゾーン「あやかしの裏通り」だったりして。


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カメラ=万年筆ではなくて、カメラ = 絵筆

 

 

岡本太郎の沖縄』 平野 暁臣 (編集) 岡本 太郎著を読む。

 

学生時代、アルバイト先で沖縄出身の男と知り合った。ふとしたことで、子どもの頃のアイスキャンディーかキャラメルなんかの値段の話になった。ぼくが「5円だったよね」というと、彼は「子どもん時は、円じゃなかったから…。5セントぐらいだったかな」と答えた。

 

この写真集は、ちょうど彼が子どもだった、1959年と1966年の沖縄の情景を撮ったものである(沖縄返還は、1972年)。撮影者は、かの岡本太郎。没してからも、いまだに才能より、特異なキャラクターやパフォーマンスの方が強く印象に残っているが、彼の絵画の初期の代表作『痛ましき腕』を国立近代美術館で見た時は、そのすごさに圧倒された。ファシズムという大きな流れの中に、いやおうなしに呑み込まれていく不安や怖れを大胆な筆致で描いた大作である。

 

本写真集もそれに匹敵するほど魅了された。想像していたものとは違い、きわめて正統的であり、ナチュラルなのである。モノクロームの写真からは、沖縄の人々のおおらかさ、素朴さ、沖縄の自然の明るさ、豊かさが伝わってくる。沖縄民謡独特の音階を奏でる三線(さんしん)かなんかが聞こえてきそう。

 

同行した岡本敏子の後書きによると、彼のカメラに対する知識は皆無に等しかったという。なのに、どの写真もよく撮れている。構図も見事。老人の顔の表情なんて実にいきいきとしている。やはり天賦の才というべきか、天性の芸術家なのだろう。一眼レフカメラとアクセサリーをぶら下げて、感性のおもむくままに、遠慮会釈なしに、シャッターを切る。そんな姿を思い浮かべた。改めて彼の眼力に敬服させられた。

 

後年、岡本太郎は、縄文文化に強く惹かれたが、沖縄の風土や文化にも相通ずるものがあるようだ。沖縄をはじめ南の島に、必要以上にニライカナイ(沖縄の言葉で「ユートピア」)幻想を抱いてしまうのは、なぜなのだろう。

 

痛ましき腕

沖縄撮影時の岡本太郎

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森は異界への秘密の扉

 

 


『始まりの場所』アーシュラ・K・ル・グィン著  小尾芙佐訳を読む。    -


自分だけの秘密の場所ってある?鉄条網に囲まれ、てっぺんには避雷針のついた火薬庫、ドングリがいっぱい実る木、木っ端が山のようにある製材所の裏のゴミ捨て場、ターザンごっこ用のロープがかけてある神社の雑木林…。そんなお気に入りの場所が、この物語の扉となっている。

 

ヒューは、スーパーマーケットのレジ係。給料をためて、学費を捻出して大学へ行き、図書館司書になろうと漠と考えている。小うるさい母親との生活にも、うんざりしているのだが、そんなある日、突然、森を発見する。街とは遮断された静けさと安らぎにあふれた空間。彼は、たちまち、森がお気に入りとなる。

 

いつもたそがれていて、時が停止している、不思議な森は、彼にとってのサンクチュアリとなったのだ。自分の王国だと思っていた森には、実は、もう1人住人がいた。イレーナという女の子だ。そのことを知った彼は、聖域が侵犯されたと勘違いして彼女を責める。

 

ところが、彼女のほうが、森には何度も来たことがあり、そしてさらに、この森には先住民族が棲んでいた。テンブレアブレジと呼ばれる地に住むサルク首長(ほんとは酋長なのだろう)とアライア。二人はヒューたちに、この地を滅ぼそうとしている竜退治を懇願する。サルク首長とアライアは、森から抜け出ることはできないからだ。

 

イレーナがナヴィゲーターを務め、長老からもらった剣を手に旅に出る。艱難辛苦を乗り越えて(そうでもないか)、ヒューは竜をやっつける。おっ、ドラ・クエかよ。二人は、旅を通してお互いをよく見つめ合い、いつしか恋心が芽生える。

 

それぞれにとって始まりの場所でもあり、二人にとって恋の始まりの場所でもある。うーん、爽やか。作者というと枕詞のように、ユングの影響が…というのが、出てくるが、そんなの抜きにしても楽しく読むことができた。『闇の左手』や第一巻で挫折、リベンジしようと思っている『ゲド戦記』に比べると、読みやすい。RPGでいうところの一本道ってヤツに近い。

 

でも、ほんとんとこは、竜が出てくるシーンや竜に対する首長たち民族の永年の葛藤や対立の歴史、ウラミ・ツラミとか、もっとおどろおどろしくしてほしかったんだけど、これって、スティーブン・キング病なのかな。この本は、ファンタジーに対してのある種のリトマス試験紙代わりになるかもね。

 

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加賀美捜査一課長、和製「メグレ警視」、奮戦す

 

 

『霊魂の足-加賀美捜査一課長全短篇-』角田喜久雄著を読む。

 

第二次世界大戦後の日本。まだ戦争、敗戦の影が生活にも心にも暗い影を投げかけていた。人々は暮しのために身を粉にして働く。
しかし、誰もがうまくいくわけではなく、そこにもまた勝者と敗者が生まれる。
その社会の歪みが引き金となって事件が起きる。
結果的には残虐な殺人事件だが、やむにやまれぬ動機を明かされると犯人に対して
一方的に非を認めよとは言い難い。

 

作者はジョルジュ・シムノンの『メグレ警視』をモデルに、
加賀美敬介捜査一課長を主役にした短篇集を書き上げる。

 

不勉強ゆえに未読の『メグレ警視』と本作との比較はできないが、
時には冷酷無比に極悪を許さない心と罪を憎んで人を憎まない優しい心を持ち合わせている加賀美。


名探偵のように徹底した現場検証と鋭い観察眼に基づく推理で事件を解明していく。
職人のような手堅さや丁寧さが読んでいて心地よい。

3篇紹介。

 

『緑亭の首吊男』
神田のバー『緑亭』のオーナー松太郎が突如失踪した。各地を転々として1年後に戻ったとき、様相が一変していた。痩せこけた松太郎。前科持ちの橋本に追われていたらしい。松太郎が戻って間もなく橋本は青銅の花瓶で撲殺される。まもなく自室で首を吊った松太郎が発見される。遺書もあった。解せない加賀美。首を吊っていたのは。

 

『怪奇を抱く壁』
上野駅の地下食堂で眼鏡の男がトランクをすりかえるシーンに出会った加賀美。彼は男を追う。単なる間違いではなく、すりかえには何か裏がある。男は郵便局へ。なんと加賀美宛にトランクにあったブツを送り付ける。それは60万円の現金だった。戦争によって幸福を踏みにじられた夫婦の哀しみ。結末がポーの『黒猫』を思わせる。

 

『霊魂の足』
タイトルで心をつかまれた。舞台は「F町の花屋『マドモアゼル』」。コーヒーとフルーツも味わえる。大滝家の家族経営による実にコージーな雰囲気の店。梅雨時の出張で気がめいっていた加賀美もおいしいコーヒーでほっと一息ついた。
そこへ次男が帰還して店の半分を強引にバーの改造にかかる。次男は失明状態で戦友という服部と石原の二人が我が物顔で取りしきる。工事は中断して大きな穴が開いたまま。そこで服部が戦地から持ち帰った自身の銃で殺されていた。
捜査を重ねていくうちに、真犯人が浮かびだす。つらいけれど逮捕しなけらならない。
苦虫を噛みしめる加賀美。


空襲後の爆撃跡が残ったままのバーなど書かれた当時の描写がいま読むと新鮮。。
それと酒呑みゆえ品書きの高級ウイスキーハイボールやカクテルなどを見ると喉が鳴る。

 

メグレつながりで余談を。アマゾンプライムビデオで『メグレ警視』シリーズが見られる。演じるのは、ローワン・アトキンソン。こう言えば、多くの人がうなずくはず。「ミスター・ビーン」だと。予告編だけ見たが、かなり良さそう。

 

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