カメラ=万年筆ではなくて、カメラ = 絵筆

 

 

岡本太郎の沖縄』 平野 暁臣 (編集) 岡本 太郎著を読む。

 

学生時代、アルバイト先で沖縄出身の男と知り合った。ふとしたことで、子どもの頃のアイスキャンディーかキャラメルなんかの値段の話になった。ぼくが「5円だったよね」というと、彼は「子どもん時は、円じゃなかったから…。5セントぐらいだったかな」と答えた。

 

この写真集は、ちょうど彼が子どもだった、1959年と1966年の沖縄の情景を撮ったものである(沖縄返還は、1972年)。撮影者は、かの岡本太郎。没してからも、いまだに才能より、特異なキャラクターやパフォーマンスの方が強く印象に残っているが、彼の絵画の初期の代表作『痛ましき腕』を国立近代美術館で見た時は、そのすごさに圧倒された。ファシズムという大きな流れの中に、いやおうなしに呑み込まれていく不安や怖れを大胆な筆致で描いた大作である。

 

本写真集もそれに匹敵するほど魅了された。想像していたものとは違い、きわめて正統的であり、ナチュラルなのである。モノクロームの写真からは、沖縄の人々のおおらかさ、素朴さ、沖縄の自然の明るさ、豊かさが伝わってくる。沖縄民謡独特の音階を奏でる三線(さんしん)かなんかが聞こえてきそう。

 

同行した岡本敏子の後書きによると、彼のカメラに対する知識は皆無に等しかったという。なのに、どの写真もよく撮れている。構図も見事。老人の顔の表情なんて実にいきいきとしている。やはり天賦の才というべきか、天性の芸術家なのだろう。一眼レフカメラとアクセサリーをぶら下げて、感性のおもむくままに、遠慮会釈なしに、シャッターを切る。そんな姿を思い浮かべた。改めて彼の眼力に敬服させられた。

 

後年、岡本太郎は、縄文文化に強く惹かれたが、沖縄の風土や文化にも相通ずるものがあるようだ。沖縄をはじめ南の島に、必要以上にニライカナイ(沖縄の言葉で「ユートピア」)幻想を抱いてしまうのは、なぜなのだろう。

 

痛ましき腕

沖縄撮影時の岡本太郎

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