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心ここにあらず

エニグマ アラン・チューリング伝 上

エニグマ アラン・チューリング伝 上

エニグマ アラン・チューリング伝 下

エニグマ アラン・チューリング伝 下


録音しておいたラジオ番組を聴きながら、
エニグマ アラン・チューリング伝 下』アンドルー・ホッジス著を
読了。


伝記ではあるが、アラン・チューリングの思想と功績にかなりのページを
割いている。
通り一片のものを知りたいだけならば、類書をおすすめする。
ともかく早過ぎて、周囲からはなかなか理解されなかった。
天才ゆえのエキセントリックな物言いなども理解されにくい一因となったようだ。


引用1

「学習する機械は、最初の設定時に期待された種類の結果をいぜんとして
しかも、当初よりはるかに効率的に生み出しているだろう。そのような場合には、最初の指示入力されたときに予想されなかった機械の進歩を認めざるをえない。この機械は、教師から多くを学習しつつも自分自身の取り組みでさらに多くを自ら付け加えた生徒のようなものなのだ。このような事態が発生すると、その機械が知能を示しているとみなさざるをえなくなると私は感じる。十分に大きな記憶容量を与えればすぐに、この方向で実験を始めれられるはずだ。人間の脳の記憶容量は二進法で1000億桁の水準である。しかし、多分その大半は視覚印象を覚えるとか、ほかの比較的無駄な目的に使われている。数百万桁分の記憶があれば真の進歩がある程度は見込めると望んでも間違いではない。とくに、たとえばやや制限されたチェスのような分野に探究心を限定したときはそう望めるだろう」

 

 

インターネットが軍事用に開発され後に民生用になって普及したが、
コンピュータも同様。単なる計算機の枠を越えて。
「学習する機械」が、人間の能力を越える日はいつなのだろう。
人工知能(AI)が、囲碁のプロ棋士に勝ったというニュースが話題となったが。

 

引用2

「心または脳の機能を考えるにあたって、純粋に機械の語彙を使って説明できるいくつかの操作を発見した。私たちは、これは、ほんとうの心に対応しないと考える。むしろそれは、ほんとうの心を探ろうとするなら、剥がさなければならない皮のようなものだ。しかし、残ったものにも、さらに剥がさなければならない皮をみつける。そしてまた、剥がすべき皮をみつける。このように続けていくことによって「ほんとうの」心に到達するのだろうか。その内側には何もない皮についに到達するのだろうか」

 

心脳問題か。「ほんとうの心」ってあるのか。どこにあるんだろと素朴な疑問。
脳にあるのだろう、たぶん。玉ねぎの皮剥きと同じで剥いても皮、剥いても皮で
終わってしまうような。芯がないように心もない。

 

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