かつて仕事=労働は、悪とみなされ、蔑まれていた

 

 

『仕事』今村仁司著を読む。ニューアカブームの頃、著者の『現代思想のキイ・ワード』に載っている、リゾームディスコンストラクションなどの用語解説は、にわか勉強にとても世話になった。
 

かつて仕事=労働は、悪とみなされ、蔑まれていた。それがルネサンス期あたりから、まるっきり反対の評価となる。「労働観」を歴史軸で見つめると、いまだ「労働からの解放」は実現していない。あらためて働くことを考察する。


第一章 未開社会の労働観

 

「近代社会では「労働・生産」は単独に突出し、それに応じて「自然と闘い、自然を征服し、自然を変形する」労働という表象も成立したが、「労働」が社会的諸活動に分散的に埋め込まれている社会では、自然と人間とのシャープな切れ目はなく、また切れ目があってもそれを縫い合わせる観念体系がつくられる。男女の性別による仕事の文化を除けば、誰もが同じ仕事をするし、同じような物を食べ、同じような生活をする。したがって、ここでは近代的な意味での「生産」「交換」「消費」の分裂は存在しない」

原始共産制ってことか。

 

第二章 古代ギリシャの労働観

 

古代ギリシアでは多忙は倫理的悪」だった。うろ覚えだが、古代ギリシアのポリスでは労働は奴隷がするもので、市民は芸術や論争などに明け暮れたとか。

「古典ギリシャの労働観の中心は職人労働である。職人労働は、テクネ―とポイエーシスという言葉で表現される」

「商業の場合、手工業以上に、限界のない欲望の拡大があり、魂を豊かにする自由な空間は全くない。―略―多忙は人間の本性に反するものであり、自由な人間の本質の敵である。―略―商業と商人は存在自体がひとつの悪なのである」

戦前の日本でも商売人や金融業はよく思われていなかったし。

 

第三章 西欧中世の労働観

 

「14世紀以降、「時間」は貨幣的性格をはっきりと帯び、怠惰は貨幣的視座から評量され非難されるのであって、単なる道徳的避難ではない。かつて自由な時間をもってブラブラ」すること、つまり余暇としての「怠惰」は高貴な価値であった。今や「怠惰」は罪悪となる」

 

「時は鐘(教会の)なり」から「時は金なり」へと移行したわけだ。『不思議の国のアリス』に出て来る白ウサギは懐中時計を見ながら忙しいが口癖。そんなシーンを思い浮べる。


第四章 近代の労働観

 

プロテスタントの教義について「へえ」と思ったところ。

プロテスタンティズムは、徹底的に「この世的なもの」を拒否する。それは人びとが現に生きる「この世界」を栄光化することを断然拒否する。それは現世拒否であり、世界の遠ざけ(世界阻害)である。世俗的世界を肯定することではなくて、それを否定的にみることをラディカルに徹底することにこそ、カトリックとは違うプロテスタンティズムの特長がある。一切の偶像崇拝を拒絶し、直接に人と神の交流をめざすプロテスタンティズムは、場合によっては、教会という媒体すら破壊しかねない流れをも抱えこんでいる。この世界をラディカルに全面的に格下げすることのなかには、この世界で生きていくのに不可欠の労働をも徹底的に格下げすることが含まれる」

 

新教徒ゆえ、これぐらい過激でなければ改宗につながらなかったのだろうか。また、デビューまもない「社会主義」に対してこう述べている。

 

「「資本主義」のシステムとイデオロギーを乗りこえると主張して登場した「社会主義」の諸思想と諸システムが、基本的な人間活動としての労働(技術を含む)の了解様式に関しては、「資本主義」といささかも変わりがなく、いやむしろ「資本主義」以上に「労働の尊厳」なるものを極端のまで引き伸ばしてみせたこと、おそらくそこに原題の最も根元的な問題―ひょっとすると回復不可能な「労働主義」の過剰展開―横たわるのだと思われる」

 

第五章 労働の批判的省察

 

マルクスがアジア的生産様式を特色づけた「相対的奴隷制」が社会主義にぴたりとあてはまることだけは確認しておくべきであろう。―略―ロシアの「収容所」体制、中国の「文化大革命期」の下放体制、カンボジアの強制的農業集団化体制等々は、無賃労働体制であり、資本主義以下的な全面的・完全な奴隷状態の創出であった。それらは言葉の厳密な意味で「野蛮」な労働体制である」

 

「労働からの解放」、具体的な手立てについて。


「遊戯性と結合した「労働」を仕事と呼ぶ。近代では、人間的諸活動が労働一般に解消する傾向が強いが、この傾向を逆転させて「労働の仕事化」を構想するのが「労働からの解放」の理念であった。―略―古代的意味での「仕事」(テクネ―=ポイエーシス)と自由な活動(プラークシス)が、古代的労働観とは逆に、融合すること、これが未来に展望される仕事である」

 

ハンナ・ アレントの「労働と仕事」に通じるものがある。

 

たとえば、AIとワークシェアリングの普及が「労働からの解放」につながると読んだことがある。これは、また、改めて。

 

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