『トランス=アトランティック』よりも『日記/1953-1956』(抄)にひかれる

 

 

『トランス=アトランティック』ヴィドルド・ゴンブローヴィッチ著 西成彦訳を読む。


ナンギだけど魅力的な文体。ゴンブローヴィッチは、大昔、集英社から出ていた現代の世界文学シリーズに『フェルディドゥルケ』が入っていたけど、頓挫した。

 

町田康のような、ボリス・ヴィアンのような、理性と私怨を抜いた車谷長吉のような。
パンクでポップでシュールで。

 

1939年、ポーランドから新進気鋭の作家がはるばるアルゼンチンくんだりまで来て(失礼)「旅の恥はかき捨て」と、くりひろげる馬鹿騒ぎの日々。

 

世界大戦が勃発して母国ポーランドナチスドイツが占領。帰国できなくなって、結局、アルゼンチンに居つくことになるのだが。

 

ぼくがひかれたのは、小説よりも埋め草的(再び失礼、資料か)な『日記/1953-1956』(抄)。すげえいいんで、国書刊行会で全訳日記の刊行を望む。国書刊行会ぐらいだろ、頼めるのは。

 

この日記で5歳年上のボルヘスと遭遇するシーンが出て来る。ボルヘスが1899年生まれ、ゴンブローヴィッチが1904年生まれ。なんぼのもんじゃいとすごむゴンちゃん(その時点でもう気後れしてる)。物書きの端くれとして、己よりも才のある同業者って、凡人よりよっぽど痛切に感じるものね。男のジェラシー、負け惜しみ、やせ我慢。
わかる、わかる。

 

スタニスワフ・レムの『高い城・文学エッセイ』でレムが同じポーランドの作家であるゴンブローヴィッチのファンであることを知る。

 

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