『虎の血 -阪神タイガース、謎の老人監督- 』村瀬秀信著を読む。
ヤクルトファンのぼくは、当然、神宮球場へ行く。阪神戦だと神宮が黄と黒、広島戦だと赤で埋められる。熱狂的な応援。こちらは東京音頭に合わせて地味に青い傘を開いて振るぐらい。
で、阪神タイガースでプロ野球選手出身ではない人が、監督になった歴史がある。1955年指揮をとったのが、第8代監督・岸一郎。しかし、わずか数カ月で「痔瘻の悪化」を理由に休養となる。監督休養の第一号らしい。
成績不振よりも球団側のトップダウンで決められた監督人事に対して不信感を抱いた選手から総スカンされたからだ。特に、主力で人気があった初代ミスター・タイガース、藤村富美男が認めなかった。
岸はどんな経緯で監督になったのか。その経歴は。また、どんな采配をふるったのか。
その謎を明かそうと阪神の選手、球団関係者に取材する。さらに彼の郷里の敦賀市へと足を運ぶ。
敦賀の由緒ある家に生まれた岸は、早稲田中学から早稲田大学に進む。野球部でサウスポーのエースだった。はじめは、球は速かったが、コントロールに難があったが、自己練さんで修正する。手足の長い身体からくり出す速球とドロップ。
卒業後は、満鉄野球部(満州倶楽部)へ。ここでもめざましい戦績を残す。
資料で投手時代と監督時代の写真が掲載されているが、濃い顔でスマートな高身長。日本人離れした雰囲気。ひょっとしたらロシア人の血が流れているかもと。現在なら、当然、ドラフトにかかる逸材だったろう。
発足したばかりの職業野球よりも、東京六大学野球の方が人気があった時代。早稲田大学野球部の後輩・広岡達郎にも取材する。現役時代は、素晴らしい選手だったと。ともかく責任をとって監督を辞した岸は立派だと。で、脱線気味に「原(当時読売ジャイアンツ監督)は成績不振でも辞めない」と。何度も、しつこく。いしいひさいちが描くヒロオカ先生を彷彿とさせる。
岸が監督になったのは、球団側が次の監督を決めあぐねていた事情がある。松木謙治郎が監督を辞め、彼は助監督兼任の藤村富美男を監督にするつもりだったが。ところが、球団専務は同じ関大出身の選手を監督にしたいと。阪神得意の派閥争い、お家騒動は昨日今日はじまったわけじゃないことを知る。すったもんだしているうちに、監督に自ら売り込みにきていた岸を選ぶ。漁夫の利ってやつ。
岸を追放し、監督になった藤村だが、同様に選手たちから排斥運動を起こされる。
「阪神タイガースは究極の選手ファーストを古くから確立させていた。プロ野球はファンを喜ばせる選手が主役。監督は負けの責任をすべてかぶる役割。巨人とは思想がまるで違う」
「野球界には、「名選手は名監督に非ず」という格言があるように、現役時代は名選手と呼ばれ順当に監督となったスターが、勝てずにボロボロにされて現場を去ることは、よくある話なのかもしれない。ただ、タイガースのレベルはケタ違いだ」
最近読んだものでは、ダントツに面白いノンフィクション。綿密な取材、細密な執筆。時々、筆が滑りすぎ。