媚びずに、生きる女

 

 


『流れる』幸田文著を読む。

 

舞台は東京・柳橋、斜陽がかった芸者の置屋。そこで女中として働くことになったワケありの素人の中年女性が足を踏み入れることから小説は始まる。彼女の目を通して、柳橋界隈や花柳界の暮らしぶりやしきたりなどが実に克明に綴られる。たとえば、この町は家族ではなく、単身者の寄り会い所帯ゆえに、八百屋も魚屋も惣菜屋も一個からばら売りしてくれる、お歳暮の贈答品は、「もとの店へ持って行って」「同値で何かほかのもの」と取り替える、など。

 

また、主人公の素性を見抜く置屋の女主人公や道楽者で粋がる亭主、老妓、売れっ子芸妓、怠け者の女中仲間、彼女を引き抜こうとする他所の女将、出入りする客など登場人物もそれぞれにいきいきとしていて、しがらみ具合が興味深く描かれていて、瞬く間に、吸い込まれてしまった。いみじくも高橋義孝が解説で「カメラアイ」と表現しているが、その洞察力の鋭い巧みな文章には、恐れ入谷の鬼子母神だ。

 

本作は、作者が52歳に発表したもので、この小説により名実ともに作家と認められたエポックメーキング的作品である。

 

鉄瓶、行李、林檎箱、経木、塵芥箱、オート三輪、お櫃、長火鉢…。今となっては過去の遺物が、道具として大切に使われている様(さま)は、郷愁というよりも、羨ましさや、まっとうさを感じてしまう。あと、お摘みやコロッケ、五目蕎麦など食べ物の描写がほんとに旨そうで、旨そうで。

 

もう喪くなってしまった世界や未知の世界、知っているのに知らなかった世界などを垣間見せてくれるのが、小説を読む醍醐味であるとするならば、本作は、紛れもなく一級品であると言っても構わないだろう。ま、今さらながらなのだが。

 

「流れる」のは「堕ちる」のではない。氏素性の知られぬ未知の土地で働く、それはいわばリセットである。夫や子どもに先立たれた彼女は、人生の折り返し地点で再スタートしようと、狭い社会の中で懸命に世渡りをしていこうと智慧を働かす。理不尽なお使いの対処や、手早くすませる掃除の仕方、如才ない会話など、その才気煥発ぶりや一本芯の通った潔さに対して、ついつい頑張れと言いたくなる。そんなことが不要なことは分かっているのだが。

 

晦日前後に風邪を引いて、当てにしていた餅代を手にしたら、意外に多くて、その金でなんとか正月の間、従妹の家に厄介になり、心身ともに休ませることできた件(くだり)は、泣かせます。なぜか、子どもの頃に読んだ『家なき娘』を思い出してしまった。

 

ぼくの住まいは細い路地奥にあり、近所は高齢者が多い。昼下がり、仕事をしていると、三味線の音色が聞こえてくる。たぶん、その人だと思うのだが、足腰は若干おぼつかないが、ぼくより矍鑠(かくしゃく)としていて、立ち居振舞いがどことなく玄人風なのだ。


若い自分はさぞかし別嬪だったと思われる艶っぽさを、目鼻立ちがはっきりとした容貌に留めている。当然、チャキチャキの東京弁を話される。本作に、素人は、玄人の世界に抵抗なく入れるが、玄人が素人の世界に入るのはなかなか大変だなどという箇所が出てくる。そうかもしれない。

 

時折、明らかに、主人公に作者の意見を代弁させていると思われるところがあり、それはそれで辛口な小言幸兵衛−女性だから、幸子か−なのだが、心地良い。結末のめでたさも読む者に、カタルシスを与える。

 

言葉で緻密に構築された、昭和20年代後期の東京の色街模様を、ぞんぶんに堪能することができた。この渋い小説−でも、全然古びていない−は、若い人よりも、三十代、四十代の人の方が、たぶん、しっくりくるだろう。日本文学、なめてました。

 

かくなる上は、名作の誉れ高い、成瀬巳喜男監督の映画版『流れる』をなんとか見てみたいものだ。

 

見た。映画版『流れる』のレビューは、こちら。

 

soneakira.hatenablog.com

 

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