6時の鐘で目を覚ます。
徳利と猪口が段ボール住まいなので
コップでチンした純米酒を3杯呑む。
午後、仮住まい宅から浄光寺、豪徳寺へ歩いて初詣。
豪徳寺、賑わっていた。
録画しておいた『流れる』成瀬巳喜男監督を見る。
幸田文の原作は、理由あって向島の芸者の置屋で住み込みするようになった
女中の目を通して、花柳界、下町の暮らし、人情、機微などを描いていたが、
映画のほうは女中(田中絹代)、置屋の女将(山田五十鈴)や
その娘(高峰秀子)、年増芸者(杉村春子)や若手の芸者(岡田茉莉子→萌え~)など、
一種の群像劇、やはり女性映画に仕上げられている。
若かりし仲谷昇がインテリ・ハンサム。
ぼくは田舎の人間なので下町でも大川の手前と川向こうで、
どのようにクラスターが違うのかは実感として知らないけれど、
ここらあたりの老舗の和菓子屋の跡継ぎに生まれた小林信彦は、
この映画のリアリティや人生の苦さを著作で誉めていた。
玄人-素人、下町-山の手、男に依存する-男から自立する、若さ-老い、
ドラマのファンダメンタルな要素である対立の構造を、
下町情緒で巧みに糖衣している。
日常的な題材をすくい上げて、見る者に共感させていく、
この手法はTVのホームドラマの原型ともいえるだろう。
前に幸田文→向田邦子と、当ブログで書いたことがあるが、
女中がキーとなるドラマといえば、久世光彦演出作品でおなじみだ。
先日、たまたまTBS50周年記念番組を見ていたら、
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー一族』など
久世ドラマを紹介するコーナーがあったけど、
成瀬巳喜男→久世光彦かと。
『成瀬巳喜男の設計―美術監督は回想する』中古 智 著 蓮實 重彦 著を
読んだことがあるが、脚本家泣かせの監督だったとか。
何せできあがった台本を渡すと、監督チェックの段階で
セリフがばっさり削られていたそうだ。映画は見ればわかる。
ついでにいうなら、ムダにフィルムは回さなかったそうだ。
こりゃプロデューサーにとっては理想的な監督だ。
カットを断続的に撮影していき、
どんなものになるんだといぶかしがったりするが、
いざ編集してみると、見事な本編になっている。
職人といわれるゆえん。
サンマのワタといっしょで、子どものときは好きじゃないが、
ある程度年齢を経ると、そのうまさがわかる。そんな感じの作品。