「謝罪」を哲学する

 

 

『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』古田徹也著を読む。

 

たとえば企業が問題を起こしたとき、経営陣が一同で謝罪する。TVのニュースでおなじみのシーン。ただ謝るだけでは、説明不足、謝罪の気持ちが足りないといわれたり、逆に謝罪に至るまでの過程や理由をきちんと説明しようとすると保身に回っているとか、
言い訳するなとか思われたりする。

じゃあ、どう謝ればいいのか。いったい、謝るとはどういうことなのか。哲学的スタンスから謝罪を改めて全方位から考察している。「コロンブスの卵」ではないが、作者の「謝罪論」は、さまざまな気づきや発見を与えてくれた。

 

こんな感じ。

「軽い謝罪」と「思い謝罪」の区別
「軽い謝罪」相手が被った損害が軽微なものである場合に行うべき謝罪。
      「すみません」「Sorry」「Pardon」などと言ったり、軽く頭を下げたり

      するだけで済み、深々と頭を下げながら「おわびします」「I apologize」 

      などと言うことがむしろ不適切になるような謝罪。以下略

「思い謝罪」相手が被った損害が重大なものである場合に行うべき謝罪。
      「おわびします」「I apologize」「すみません」などと言ったり頭を下げ

      たりするだけでは成立しないような謝罪。以下略 」


「謝罪の失敗」を防ぐための「実践的なヒント」の見出しのみを引用する。接客業に従事している人から企業の広報やコンプライアンスを担当している人まで参考になると思う。

 

1.「定型的な表現に頼り切らない」

2.「謝罪の理由として自分が何を言っているかに気を配る」

3.「正当化やべ弁解との区別を明確にする」

4.「できる限り迅速に行う」

5.「拙速な改心のアピールや無理な約束は避ける」

6.「「自分が楽になりたいだけだ」と思われないようにする」」

7.「謝罪をする相手や順番を明確にする」

8.「誰が謝罪をしているかを明確にする」

9.「必要に応じて第三者を立てる」

 

結論としては

「謝罪という行為は、それをすることも、それを要求することや受けることも、決して簡単とは言えない。この点をまず踏まえることが、謝罪を良いものとするための第一歩であることに間違いはない」

 

「「すみません」は無料だからなんぼでもしたる」「土下座も」的な安易な謝罪は捨てるべきだと。最後に、これらの観点から「子どもに謝罪の仕方を教える」ことが大事だと。同感。


人気blogランキング