さよならは、別れの言葉じゃなくって

 

 

川島雄三、サヨナラだけが人生だ』藤本義一著を読む。

 

いまや伝説の映画監督となった川島雄三のもと、シナリオライターの卵、というかアシスタントとして作者は弟子入りする。男が男に惚れるというのか、師弟愛を超えて何やらプラトニックなホモセクシュアルな関係かと思えるほど、濃密な時間を共有する。

 

大概はシナリオライターが書いた台本は、映画監督がチェックして、改稿を重ねる。成瀬巳喜男のように、台詞をほとんどカットしてしまう監督もいたようだが。

川島は、作者とともに、まず、登場人物のキャラクターづくりや家の間取りから話し合ってシナリオをスタートさせていた。その緻密さが、病的、生半可ではない。

 

表紙に川島の御影があるが、ハンサムだ。また、そのダンディぶりや大酒飲みぶりが痛快に記されている。

 

直木賞候補になった小説『生きいそぎの記』が記載されているが、小説よりもノンフィクションに近い読後感。書けども、書けども、川島の真の姿をとらえきれない作者の苛立ちみたいなものが伝わってくる。

 

さらに作者と長部日出雄殿山泰司小沢昭一、それぞれの対談が、たまらない。長部日出雄との対談では、青森の風土とモダニズムについて。川島は、太宰治を嫌い、太宰の盟友であった檀一雄を嫌い、同じ無頼派作家といわれた織田作之助を高く評価していたという。「青森には、地主と小作人しかいないが、大阪にはいろんな(階層の)人がいる」。いろんな人がいるからこそ、豊かな文化は生まれると。アイ・シンク・ソー。多分、地方出身者の方が、都会にあこがれる分、モダン志向が強い。それは一人よがりの、映画のセットのごとき都会かもしれないのだが。江戸落語が好きというのも、そのあらわれのひとつだ。江戸っ子気質の「宵越しの銭は持たない」ではないが、川島自身も豪快に飲み、豪快に支払ったそうだ。

 

川島雄三ダンナ」と川島を呼ぶ殿山泰司。敬愛ぶりがうかがえる。

 

川島映画及び初期今村映画の常連、小沢昭一との対談では、なぜ、川島がフランキー堺三橋達也を偏重していたかを知ることができる。要するに、彼のイメージする垢抜けた都会人像に、ほぼあっていたからだという。確かに『幕末太陽伝』のフランキー堺は颯爽としているし、『州崎パラダイス』『風船』の三橋達也はカッコいい。

 

にしても、川島の大政・小政(助監督)が、中平康今村昌平というのは、まさに、日本映画の黄金期ならではの層の部厚さを感じる。

 

作者は川島の人生を「生きいそぎ」と形容したが、それは傍から見た者の言い分ではないだろうか。川島雄三は、二十歳頃に筋萎縮症という難病にかかり、死と隣り合わせながら、45年の生涯で、笑いあり、涙ありではない、ドライなコメディ映画など、50本もの作品を手がけた。十分に人生をまっとうしたのではないだろうか。

 

川島雄三の人となりがたっぷりと愉しめる贅沢な一冊である。急に、彼の映画が見たくなった。


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