生きる権利と死ぬ権利―自死の幇助は罪か否か

 

 

『神』フェルディナント・フォン・シーラッハ著 酒寄進一訳を読む。

 

元建築家の78歳のゲルトナー。健康状態は良好だが、妻に先立たれて生きる気力を失くし、医師に自死の幇助を求める。死ぬことを望む人間に、その願いを叶えることは罪か、そうではないのか。

 

スイスで認められている「自殺幇助(ほうじょ)」により亡くなった映画監督ジャン・リュック・ゴダールがまっ先に浮かんだ。この本でも後半に出て来る。


「ドイツ倫理委員会主催の討論会」形式で、この問題を取り上げる。法学、医学、神学から専門家を招いてそれぞれの立場から論じてもらう。

 

社会派ミステリーの名手として知られる作者は、なぜか小説ではなく、戯曲にした。

戯曲なので台詞がメインでテンポよく話が展開するし、彼らの異なる観点からの主張が明確に伝わる。響いた台詞の一部を引用。

 

「ビーグラー(弁護士) 「自死」というべきです。「自殺」ではありません。自分自身を死に至らしめることは殺人ではありませんから」

 

「リッテン(法学の参考人) リベラルな臨死解除法やそれに準じた範例があるのはスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、それからアメリカ合衆国オレゴン州ワシントン州、ヴァ―モント州、コロラド州、カリフォリニア州。スウェーデンでも介助を受けての自死が認められています。ただし介助者が私人であることが条件です」

 

「シュペアリング(医学の参考人) 医師の役目は患者を治療することです。それが医学の本質なのです。わたしがもし自死の介助をすれば、わたしの職業の根本的な価値を毀損することになります。医師による自死の介助は、適切な治療をする道からはずれます」


ティール(神学の参考人) どんな命もかけがえのないものです。原則的にそれを奪うことは許されません。―略―自由意志で自分の命を絶つ人はどれだけいるものでしょう?―略―会社の倒産とか、精神疾患とか、そうした人々に必要なのは慰めと思いやりです。自殺幇助をする医師ではありません。市民には保護され、尊厳をもって歳をとり、死んでいく権利があります」


作家になる前は「刑事事件弁護士」だった作者ならではの重厚感漂う作品。延命の方に力を置いているが、尊厳死安楽死についても、日本ヴァージョンを考える時期かも。
高齢化社会は今後も進むし、高齢者の一人でもある自分自身なら、どうするかと、深く考えさせられた。


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